BST-072 (2)

 2.


 社長室は大混乱の渦中にあった。
 まさしくロボットな名前を言ったニセ千早はとりあえず律子の導きによって社長室へ通され、社長と小鳥の円く見開かれた両目に晒される。
普通の人間なら居辛そうにそわそわするのだろうが、単に無神経なのかはたまたモデルの神経まで再現しているのかロボットは実に堂々と高木社長の目の前に座っている。
「…なんと、これほどそっくりとは」
 社長がこうつぶやくのも無理はない。ロボットは顔から姿形まで完璧に如月千早を模しており、いつの間にか本人が帰国してたんじゃないかとすら思うほどだ。
 小鳥は事の次第を聞いてあわてて千早に国際電話を掛けに行き、今や社長室には社長と美希と律子とロボットしかいない。
が、このカウントにはペテンがあって、律子は先ほどから社長室の隅に蹲ってぶつぶつと何事かを呟いている。
「…あの、律子、さん?」
「…あり得ないってか何なのアレ絶対おかしいわよ完全二足歩行で自律してて声も合成出来て言語でコミュニケーションできるとか一体どういう事よ今世界中のどこの国だってあんなことできるわけないじゃないそもそもあんな」
 だめだこりゃ。
 美希は早々に律子から視線を外した。
律子はすっかりカっ飛んでしまっている。一番詳しそうなのにとも思うが、どうやら目の前のロボットは律子の常識的にはまだ到底ありえない事象らしい。
仕方ない、と意識をロボットと社長のやり取りに向けると、社長とロボットは都合4回繰り返したやり取りをもう一度始めようとしていた。
「あー、もう一度尋ねよう。君の名前は、何と言うのかね?」
「私の名前は、BST-072です。タカギジュンイチロウ社長」
「君は、えー、どこから来たのかな?」
「ラボラトリの住所にはアクセス不能です、タカギジュンイチロウ社長」
「で、どうやってここまで来たのかな?」
 聞き飽きた美希に代わって、ロボットの弁を記載する。
 ロボットはどうやら自分の製造者については話せない設定らしく(本人いわく、『ユーザーに関する設定は許可がないためアクセスできません』らしい)、またその製造目的についてはデータ入力がないと言っている。
肝心のどうやってここまで来たのかという質問に対しては、この容姿の人物が所属する会社はどこかと道行く通行人に片っぱしから問いかけたとの事だ。
これじゃ千早さんも帰国したとき大変だ―――と、美希はどこかそれを他人事のように考えている。
 
 もし本当に目の前の『千早』がロボットだとしたら、これは相当に変な話である。

 第一に、製造者はいるはずなのに肝心の『どこから来たか』がすっぱり抜け落ちている。
 ラボラトリと言うくらいだからどこかに製造工場があるはずなのだが、ロボットは先ほどからそれに対してずっとアクセス不能と繰り返している。
製造者であろうユーザーについては設定がどうとか言ってその存在を匂わせていることから、どうやらロボットには本当に工場の場所が入力されていないらしい。
ということは、ユーザーなる人物は目の前のはた迷惑なロボットを製造後、特に帰る家を入力することすらせず街中にほっぽり出したという事になる。
何のためにそんな事をしたのか、という疑問については、どうやらロボット自身知らないらしい。
 第二に、その製造目的が分からない。律子の頭を一発でやらかしてしまうほどのハイテクの塊のくせに、その目的がはっきりしないというのは妙だ。
これをユーザーなる人物が秘匿している可能性もあるが、どうやらロボット自身その目的を認識していないらしい。
何せデータがありませんだ。これでは何のためにこのロボットを作ったのか全く分からない。
律子の弁を借りるのであれば、ロボットに類する機械は何かしら目的があって作られるのが通常である。が、このロボットと来たらその目的がはっきりしないどころか無いと言う。
 第三に、これが最も不思議なことだが、なぜロボットが如月千早の外見をこれほどまでに摸しているか、である。
意味不明にも程がある。本物の千早がここにいたら大変なことになったであろうが、幸か不幸か本人は遠い異国の空の下で今も頑張っているはずで、ということはこのロボットは相当な急ピッチで製造されたか、あるいはロボットの製造工場は相当ラインが広くて外見を変更することが容易かのどちらかということになる。

 そして高木社長は第三の理由により、「会社に黙って帰国してきた千早本人が悪ふざけをしている」と考えている。
社長が最初から漂わせている馬鹿馬鹿しさ加減はこの推測によるもので、いい加減尻尾を出したらどうか、と社長は半ば本気で考えている。
記憶喪失という線もあることにはあるのだろうが、ならば病院や警察から何か連絡が来そうなものだ。

 いい加減付き合い切れない、と社長は頭を振って、
「如月君、帰国したならしたでそう言ってくれれば空港まで迎えに行ったのに。どうしたんだね、君らしくもない」
 空港、という単語に反応したのか、
「―――オリジナルは、現在海外にいるのですか」
「だから、君がそのオリジナルとやらなんだろう? いい加減にしたまえ、わたしも忙しいんだよ」
 と、そんな会話を始めたところに、小鳥が真っ青な顔をして社長室に現れた。
その表情にただならないものを感じたのか、社長は小鳥が震えながら出してきた電話の子機を受け取って、
「はい、765プロデュース代表、高木でございます」


『―――社長? 社長ですか?』


 声に、社長は目の前のゲンジツを凝視する。なんだこれ、と思う。美希の目の前で、社長の様子がどんどん変わっていく。
「き、如月君、かね?」
『はい、千早です。ご無沙汰しています。…ええっと、小鳥さんから電話を頂いたんですが、』
 ああ、と毒にも薬にもならないつなぎを口にして、社長は改めて目の前のロボットを見つめた。
「き、今日は何月の何日かね?」
『は? えーと、9月の…10日ですか。あ、日付変更線があるから、そちらはもう』
「9月11日です、タカギジュンイチロウ社長」
 ゲンジツが口を開いた。社長の喉がゴクリと鳴る。背中を奇妙な汗が流れていくのがはっきり分かる。
「如月君、君は、えーと、今どこにいるのかね?」
『え、…今ですか? 今は、その、ニューヨークの自室にいます。今日はトレーニングの日なので、スタジオ入りではないですけど、』
 子機から漏れ聞こえる音に反応したのか、ロボットがニューヨーク、と言った。唇に一指し指まで当てて考えるしぐさは本当に人間のようだ。
と、そこで今までアッチに行ってしまっていた律子がやおら立ち上がり、社長から子機をふんだくると、
「千早っ!? 大丈夫!? あんたなんかされてない!?」
『え、えーと、律子さん、ですか?』
「何か最近変わったことなかった!? 街頭調査で髪の毛抜かれたとか献血で多めに血を抜かれたとか消火器の営業が来たとかトイレが詰まったとか!」
 どうも律子は目の前の現象にそっちの方向で回答を求めようとしているらしい。
突然の剣幕にその場にいた全員が唖然とする中、ロボットがぽつりと、
「ニューヨークでは、86時間では行けません」
「…? あなたは千早さんに会いたいの?」
 美希の問いに、ニセモノは美希をまっすぐに見つめてこう言った。
「可能なら」
 先ほど所持品の中から身元を特定できないかと持っているものをすべて出させてみたが、ロボットが持っているものと言ったら現在着ている服だけだった。時計や携帯電話はもちろん、一銭の現金すら持ち合わせていない。
聞けば「最初から持っていなかった」らしく、まさしくユーザーなる人物が街中でロボットを放りだした証拠とも言える。
これで旅行など無謀極まりないし、そもそも「私はロボットです」などと言う者にパスポートなど降りるだろうか。
よしんば空港に行ったとしても本当にロボットなら金属探知器に引っかかってアウトかなと美希はぼんやり思う。
 と、ここで青い顔をしていた小鳥がようやく我を取り戻したのか、
「で、でも社長、もし本当にこの子がロボットだったら、ど、どうするんです?」
 すでに日没から結構な時間が経っている。
騒ぎを知らない一般事務員はとうの昔に帰ってしまっているし、小鳥も律子も美希も社長もそろそろ帰宅して明日に備えなければならない時間だ。
小鳥の極めて現実的ともいえる問いかけに対し、社長はぶるぶると首を振ると、
「…うーむ、にわかには信じがたいが…。しかし、うちの関係者でもないことだし、ひとまず警察に―――」


「駄目っ!!」


 美希の叫びが、社長室の時間を一瞬にして止めた。
何事か、と子機を置いて美希を見やると、律子の視界にせっぱつまった表情の美希が映る。
「駄目なの! 警察なんて絶対駄目なの!!」
「美希ちゃん? 落ち着いて、」
「絶対、絶対駄目なの!! ロボットさんにはここにいてもらわなきゃ駄目なの!!」
 目の前に自分より取り乱した者がいれば、多少は落ち着きを取り戻せるものだ。
社長はごほんと咳払いをすると、いまだ興奮の渦中にいる美希に向かい、
「しかしだね美希君、彼女は…あー、そう言っていいかはわからんが、765プロの関係者でないことだけは確かだ。君だって友達でもない家族以外の者が自分の家にいては嫌だろう?」
「そんな事ないもん! ロボットさんはミキの友達だもん! 絶対、絶対ここにいなきゃ駄目なんだもん!!」
「み、美希ちゃん?」
 美希のあまりの剣幕に、小鳥が無意識に一歩引き下がる。と、ここで電話をおろした律子がおもむろに、

「―――社長、私も美希に賛成」

 急な援軍に驚いたのか、美希は律子の顔を見る。
律子はいまだ混乱の渦中にある頭を押さえ、何とも言えない微妙な表情でロボットを見て、ついで社長の方に振り返った。
「この子、さっきここに来るために通行人片っぱしから捕まえたって言ってましたよね」
 確かにそう言っていた。『この容姿の人物が所属する会社はどこか』という問いかけでここまで来たとロボットは先ほど何回も言っている。
「ってことは、如月千早そっくりな『何者か』がここにいるって事、多くの人は知ってるってことですよね」
 Dランクと言えば、まだまだアイドルとしては半人前でもちらほらと全国区のテレビに御厄介になるころだ。
美希と千早のコンビは早々にテレビからもチェックを受けていて、その頃から目ざといファンには街角でサインを求められることもしばしばあった。
とりわけ現在の千早は海外で脚光を浴びていて、その注目度は国内でも相当高い。何せ千早の売り上げに比例して国内での仕事も増えるほどなのだ。
「千早本人はこう言うと気を悪くするでしょうけど、私たち外見でも結構目立ちますからね。外に放りだしたり警察に御厄介になったりなんかしたら、イメージガタ落ちですよ」
 常日頃からアイドル候補生に言われていることはいくつかあるが、その中でもとりわけ厳重に注意するよう言われていることといえばイメージ戦略に関することだ。
喫煙飲酒や万引きは論外にしても、それ以外にも日常で注意するよう言われていることなど腐るほどある。
群衆割拠の銀幕業界において、イメージの悪化は即ファン離れにつながるのである。
 社長はぐぬうと唸り、
「し、しかしだね律子君、危険がないとは言い切れないだろう?」
「鍵でも閉めてこの部屋置いとけばいいじゃないですか。外に出て下手に野宿とかして看板アイドルのイメージ汚れたりしたらお先真っ暗ですよ」
 幸いなことに社長室はビルの4階にある。その上ビルの周辺は都会にありがちなアスファルト舗装で固められていて、いかな機械だろうとこの高さからダイブは個体保持の点から不可能だと律子は思う。
先ほどから見ていてもロボットは人間には不可能な動作はしていない。大体にしてロボットの腕や足は何か危険な動作が可能とは思えない太さだ。
ドリルやコイルが生えるなら話は別だが、目の前の完全に律子の常識を超えてしまっている存在であったとしても恐らくそれは不可能だろう。
「り、律子さん、ミキ、その、」
「何も美希のためじゃないわよ。その方が765にとってマイナスにならないってだけの話」
 律子の援護にしどろもどろになった美希を見、律子はそう言ってため息をついた。
「ホントは私だって信じられないもの。だって完全二足歩行でしょ、完全自律なんでしょ。あり得ないわよホント今どこの企業も会社も自律ロボットなんて作れてないのに音声認識ばっちりで表情に遅延がなくて会話でのやり取りも成立し」
 またあっち側に行ってしまった律子を置いて、美希は社長をじっと見つめた。
社長は気味の悪いものを見るかのような視線をロボットに投げ、やがてゆるゆるとため息をついた。

「…分かった。では、とりあえずロボット君には一晩ここで過ごしてもらおう。その後については明日また考えるということでいいかね?」

「社長、いいの!?」
「いいも何も最初は美希君が言いだしたことではないかね。だがとりあえず今晩だけだ。明日以降は分からんよ」
 感極まって社長に飛びついた美希を尻目に、今まで蚊帳の外だった小鳥がようやくの決着に胸をなでおろすと、ロボットの隣に座ってこう言った。
「でも、ここにいてもらうんだったら何か名前考えなきゃいけませんね」
「私の名前は、先ほど申し上げた通りBS」
「それ呼びにくいじゃない。うーん何がいいかなー、ロボットちゃんじゃ味気ないしななじゅうにちゃんじゃ番号っぽいし」
「ですから私はロボットですと何度も」


「メカ千早さんがいい!」


 社長にクラッチをかましながら、美希がそう叫んだ。
きっちり首まで決まってしまい青くなっている社長には一瞥すらくれず、美希はキラキラと輝くような表情を浮かべてメカ千早さんがいいと連呼する。
「メカ、千早」
「え、いいのそれ?」
 あんまりと言えばあんまりな命名だと思う小鳥の疑問に答えず、ロボットが自分に与えられた名前を口にする。
メカチハヤ、メカ千早。

 何度か口にした後、ロボットはオリジナルが絶対にしないようなにこやかな表情で笑い、

「私の名前は、メカ千早、です」

 そう言って、よろしくお願いします、とメカ千早は頭を下げたのだった。



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