BST-072 (23)


 全てを話し終えたとき、所長の顔は真っ白に染まっていた。
 メカ千早は自らに課せられた本当の仕事を知って、残る右目をゆっくりと天井へ向けた。
視界に一瞬だけ美希の表情が映る。メカ千早はすぐに目を閉じた。美希の顔を直視できなかった。
「メカ千早に、許してもらおうとは思わない。俺たちは、俺たちの娘代わりにとんでもない事をやらせようとしていた。…なあ美希ちゃん、俺たちの事は恨んでくれていい。だから、」
 周りがにわかに騒ぎ始める。三河と須藤のあたりが発信源になっている。
美希の耳に、周りの雑音は届かない。ただまっすぐに所長の顔を見て、その一言を聞いた。
「だから、メカ千早を恨まないでやってくれ。こいつは何も知らなかった。…頼む」
 遠くから所長を呼ぶせっぱつまった声が聞こえてきた。所長は呼びかけに視線すら動かさずに美希を見ている。
美希は一瞬だけ目元を引き、ついでメカ千早に向き直った。
「そんなの、…」
 早く、という急かす声が聞こえる。メカ千早が辛そうに顔を背けている。
自分を見ないでほしい、そう言っているような気がして、所長は目をきつく瞑って頭を下げた。
恨むな、と言うのは無理かもしれない。美希や765にしてみればメカ千早が知らないとはいえ行ってきた事はスパイ行為であり、明確な背信だ。
恨まれても文句はいえないし、事実こちらは好意にひきつった笑顔を浮かべて765を裏切ってきたのだ。
「メカさんは、ミキの友達だよ」
 言葉に、所長は頭を上げた。
 メカ千早もまた右目を大きく見開く。メカ千早の顔に、信じられないと書いてある。
美希はそれを見て少しだけ笑い、メカ千早の左手を手に取った。
「…まだ、私を、友達と呼んで、くれるのですか?」
「お互い様だよ。…ミキだって、メカさんに千早さんになって欲しかった。それに、」
 そこで美希は言葉を区切り、メカ千早を見た。
右腕も右足もなく、顔面が損傷することを厭わずにメカ千早は美希の事を助けてくれた。
 言わなければならないことが、確かにある。
「ミキの事、…助けてくれて、ありがとう」
 事故から。あの言葉から。プロデューサーも千早も遠くに行ってしまった孤独から。
ありがとうの一言で済まされるとは思わない。一言で表せる以上にメカ千早に感謝している。
 言葉が出ない。美希はベッドサイドに蹲り、メカ千早の額に手を当てる。
「…ミキ、」
「もう、逃げないよ。メカさんがいてくれたから、やっと分かったの。ミキね、これからもずっとメカさんと一緒にいたいよ。…だから、」
 額に充てた手からは、暖かさがまったく感じられない。
「…だからさ、」
 頭のどこかで、不可能だと思う。
頭の冷静な部分で、もう恐らくメカ千早は長くないのだろうと判断している。それでも、美希はそう願わずにいられない。
もっと一緒に居たい。もっと一緒にいて遊びたいし、きっと次に挑戦する『朝ごはん』は以前が霞むほど素晴らしいものになるはずだ。
 だから、
「…早く、良くなってね」



 三河が顔も上げずに手招きをしている。所長のどうだという問いに、三河も須藤も渋面のままモニターから顔を上げようともしない。
「…まずいっす。プロセッサの参照要求がおかしい。外部メモリまで参照しちまってる」
 三河のモニターの中でプロセッサの稼働率が冗談かと思うほどに上がっていた。
メインメモリのデータを退避した外付け大容量メモリまでメカ千早は参照しようとしている。
 メカ千早にそんな事が出来るプロセッサは搭載していないし、このままいけばプロセッサ内の半導体が焼き切れてしまう。そうなったら終わりだ。
「須藤! こっちから稼働率下げられないのか!?」
「もうやってます! やってますけど!」
 所長の大声に須藤が悲鳴で答えた。
須藤のモニターに走り寄ると、デスクトップにはおびただしいまでの警告表示が出ている。所長の顔が驚き一色に染まる。こんなに多量のエラーは開発段階ですら見たことがない。
「さっきからこっちがプロセッサにアクセスしようとすると弾かれちゃうんです!」
 須藤の鳴き声が聞こえる。半泣きの須藤が向うモニターには「error: user not to rigth」という僅かな文面が広がる警告ウィンドウのすべてに書き込まれている。
その間にもメカ千早のプロセッサ稼働率は非常なまでに数値を加速させていて、すでにその稼働率は90%を上回っている。
「何で!? なんでアクセスできないの!?」
 メモリの退避はユーザー権限によって行われるし、先ほど三河は乱暴とも言える手段ではあるがメモリの退避を行えている。
 と言う事は三河や須藤の側はユーザーとして認識されているはずなのに、メカ千早の方で処理を拒んでいるという事になる。
原因は何なのかとメカ千早のユーザーコードを開いた所長の目の前で、信じられないことが起こっていた。
 ユーザーコードが、数秒おきに変更されている。
「…どういう事だ」
「分かんないですっ!! わかんないですけど、これじゃアクセス出来ないんです! 検討しようにもすぐにコードが変わっちゃうから、アタックしても効果出ないんですよ!!」
 泣きながらキーボードを叩いている須藤から離れ、三河のもとに駆け寄る。
もしプロセッサが焼き切れてしまっても、退避したメモリを新たなプロセッサに読み込ませれば最悪でもメカ千早を復活させることができるはずだ。
確認しようと駆け寄ったところで、所長は三河の異変に気が付いた。三河の額には恐ろしいまでの脂汗が浮かんでいて、その表情が驚きに彩られている。
「三河っ! バックアップ取れてんだろ!?」
 焦った問いかけに、三河もまた悲鳴を上げた。
「取れてるよ! 取れてっけど、磁気配列が変わっちまってる! メカ千早のメモリ参照用のパスはプロセッサが作るってアンタも知ってんだろ!?」
 メカ千早のプロセッサが能動的に作成するメモリへの磁気配列は、メモリに退避する時点での最大圧縮をするためにプロセッサが適時パスキーを作成する仕組みだ。
ならばそれを解読すればいい―――そう思った所長の顔に、絶望の表情が浮かんだ。
 パスキーが複雑怪奇な変貌を遂げている。
これでは現行のどんなコンピュータを使ったところで解析に何年かかるか分からない。本当に思う、メカ千早はこの半年で一体どんな経験を積んだというのだろうか。

「…068がポシャった時さ、」
 キーを叩き、額に滝のような汗を流しながら、三河は静かに言った。
「俺さ、068に感情が生まれたって思ったんだ。喜怒哀楽じゃなくてさ、もっと違う、意志とか、心とかそう言うのが」
 三河の目の前で、モニターに「error: user not to right」と表示された。
「あんときはすっげー嬉しかったんだ。だけどさ、」
 メカ千早のメモリ参照値が跳ね上がった。同時に情報蓄積量も跳ね上がる。
外部大容量メモリが残り記録域10%を割り込んだと表示した。
「やっぱ無理なのかなあ」
 三河のどの操作もメカ千早に弾かれ続けている。まるで今のボディ以外で再起動したくないと考えているように思える。
所長は三河の隣に座って三河のコントロール権限を一部無理やり譲渡させ、メモリへの外部操作を試みる。



「ミキね、やっと分かったの」
 美希の静かな声に、メカ千早は残された電力をすべて消費する勢いで首に埋め込まれたセルモーターを動かそうとする。
外部から送られてくる電力はその殆どがメモリとプロセッサに吸い取られてしまっている。
頭が異常加熱しているようだ。さっきからプロセッサとメモリに外部から相当数のアタックが掛けられている。
メカ千早はそれでも、随意信号を使えるだけ使って美希の言葉を一言たりとも聞き逃さないようにする。
そのために三河たちが悲鳴を上げていることも、そのために須藤たちが半泣きでモニターに向かっていることも、メカ千早は知っている。
 それでも、メカ千早は美希の声が聞きたいと思う。死んだって構わないと思う。
どうにかして顔を美希の方に向けることに成功すると、そこには美希の静かな微笑みがあった。
「あの時、プロデューサーが何て言ったのか、やっと分かったの」
「…何と、言われたのですか?」
 周りが騒がしい。周りから聞こえるどの声にも必至の色が濃く、キーを叩く音が部屋中を満たしている。
それでも、美希の耳にははっきりとメカ千早の声が届いている。
「ミキはね、ミキのままでいろって。そう言われたの、思い出した」
 右腕に装着されていた電源ユニットが火花を散らした。
あまりの高負荷にソケットが耐えきれなくなり始めている。美希はそこで立ち上がり、メカ千早を見た。
 美希は、泣きながら笑っていた。
「ねえ、メカさん。メカさんが元気になったら、一緒にお買い物行こう」
 再びの火花が散り、一瞬の間を置いて室内の電気が落ちた。メカ千早の電源に接続していた室内用のブレーカーが上がってしまったためだ。
スタッフたちの目の前に鎮座しているコンピュータは別電源だから問題はないが、真っ暗になった部屋の四方八方にはモニターの光が浮かび出ており、スタッフの影がせわしなく立ち回る影が幽霊のように部屋の天井に映っている。
「…お買イ、もの、」
「うん。春物買おう。一緒にお花見に行こう。律子さんと小鳥さんと社長とメカさんとミキと、帰って来てくれたらプロデューサーと千早さんも連れて、765のみんなと一緒にお花見に行こう」
 真っ暗な部屋を、驚くほど巨大なモニターの光が照らしている。
メカ千早は少しだけ顔をゆがめ、美希の魅力的な提案について考案する。
「…それは、とテモ、楽しそう、ですね」
「うん。きっと楽しいよ。メカさん、最近歌も歌ってないでしょ? 帰ったら、歌の練習もしようね」

 三河のモニター表示が『致命的な欠陥』を表示してぴたりと止まった。三河がモニターを殴る。薄緑に光るモニターにヒビが入り、周りに鉄の匂いが広がる。
これで完全にメカ千早のメモリ退避の手段はなくなった。
 もうこれで、例えプロセッサを代替したとしても、たとえBST-072をもう一度作ったとしても『メカ千早』は復旧できない。

「…ウ、た、…朝、ご、ハン、です、ね…?」
 美希の滲んだ視界の中で、メカ千早の瞼が少しだけ落ちた。
そウだ。歌だ。この一週間、本当に歌を歌ってイナい。また歌いタイな。楽シかったなあ。

 須藤のモニターが「system had critical error」と表示した。その後何をやっても表示は変わらなかった。
須藤が力の限りパソコンデスクを叩く。衝撃にキーボードがデスクから落ちた。
完全にプロセッサは活動臨界域に到達していて、プロセッサの活動を抑制する手段は完全に失われた。
 もうこれで、『メカ千早』は完全に復旧の道が断たれた。

 所長が椅子から立ち上がる。
所長だけではない、三河も須藤も、そこにいる今まで何とかしてメカ千早を延命させようとしたすべてのスタッフが、部屋の中央に横たわるメカ千早に体の正面を向けて立ち上がった。
全員が強く眼を瞑っている。どこかから嗚咽が漏れてくる。

「そうだよ。メカさん、きっと前よりずっとずっと上手くなってるよ。『蒼い鳥』はあんなに上手く歌えたんだから、『朝ごはん』だってきっと、」
 きっと、上手くなってるって、ミキ思うの。だから、ねえ、メカさん、お願いだから、
「…ミ、キ、」
 なに、メカさん?
「…アの、時の、…ライブの、歌、…は、何ト、言ウノ、です、か…?」
 あの歌はね、『relations』って言うの。
「リレー…しょん、ズ…」
 うん。『カンケイ』って言う意味の、英語。
「…カ ンケ   イ」
 そうだよ。
「ミ、…キ、」

 なあに、メカさん?


「ワタ シ ハ ミキ     ノ  トモ  ダ チ   デス   カ  ?」


 メカ千早の切れ切れの言葉に、美希は泣きながら頷いた。
須藤が両手で顔を覆っている。三河が右手で目を覆った。スタッフ達のところどころから嗚咽が漏れている。
 おそらくはもう、そうなのだろう。
 おそらくはきっと、もう一緒に花見に行くことも、もう一緒に買い物に出かけることも、もう一緒に歌を歌う事も、おそらくはもうきっと出来ないのだろう。


「…そうだよ。メカさんは、ミキの…大切な、大切な友達だよ」


 その時、ある事が起きた。
 メカ千早の顔面を形成する磁化骨格が金属疲労に耐えきれずにヒビが入ったのだ。
 ヒビは人工脳を保護する磁化骨格から右側アイカメラの裏側まで走り、人工脳内部にはプロセッサとメモリを振動から保護するための調整液が満たされていた。
調整液はヒビに染み込み、重力に従って下へ下へと進んでいく。
ヒビは丁度アイカメラの裏側で止まっており、調整液はアイカメラと磁化骨格の本当に僅かな隙間を染み出るように進む。
やがて調整役は外気に触れ、表面張力に耐えきれなくなるほどにその体積を増すと、アイカメラの淵から一筋の雫となって横を向くメカ千早の頬を伝って落ちた。
落ちた先にはメカ千早の口があり、口元は穏やかに引かれていて、美希にはメカ千早が、

 泣きながら、穏やかに笑っているように見えた。


「ア  リ     ガ         ト                    ウ  」


 それだけを言い、メカ千早は静かに、残された右目の瞼を閉じた。

「…メカさん?」
 メカ千早はもう、ぴくりとも動かなかった。ただただその閉じられた右目から暗闇に光る雫だけが流れている。左手は力なくベッドに置かれている。
余りに無気力なその様子に、まるで人形のようだと美希は思う。
「メカさん、ねえ、」

 起きてよメカさん。一緒に行きたいところだってあるの。かわいい洋服一杯売ってるお店だってあるんだよ。
まだメカさん『朝ごはん』歌ってないじゃない。
お花見だって一緒に行ってないし、半年も一緒にいたのに外に遊びにだって行ってないじゃない。
ねえメカさん、起きてよ。ねえってば、メカさん、

「…俺らな、メカ千早が生まれた時な、」
 嗚咽を漏らすスタッフの中から、所長がゆっくりとメカ千早に近づいた。
泣きながらメカ千早を揺さぶる美希に向かい、所長は静かに言葉を紡いだ。
「こいつの名前、考えてなかったんだ。みんなこいつが動いた時はうれしくってなあ。騒ぎまくってて、一番大事な事、考えてなかったんだ」
 そう言って所長は動かなくなったメカ千早の頭に手を置き、優しそうに撫でた後、

「…こいつに名前をくれて、ありがとう。…きっと、こいつも満足してる」

 そう言って、美希に頭を下げた。



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