BST-072 (26)

16.

 明日が完全退去の期日である。
渡部達が寝泊まりしている宿舎は研究所の併設であり、食堂も完備された宿舎も出なければならないというのはちょっとした悩みの種だ。
再就職先にはここのような宿舎はどうやら無いようで、渡部は休みの日には決まって麻雀に誘ってくる加持たちの誘いが消えるであろうという淡い期待と開放感をほんの少しだけ満喫する。
少し寂しいかなという気も一瞬したが、よくよく聞いてみればほとんどのメンツの再就職先は同じだという。
なんだ今と大して変わらないじゃないか、という感想は今のところ誰にも漏らしていない。
961から貰った退職金はローンの頭金くらいなら何とか払える額だったから、これを機に新しい職場の近くにでも一戸建てを買ってしまおうかと渡部は年齢にあるまじき考え方をしている。

 旧如月重工第6研究所のメンツにとってBST計画が終了してからは大きな環境の変化が二つあった。
 一つは長年勤めた第6研究所が閉鎖される事だ。
BST計画が終了したことでどうやら不採算部門として6研は961コンツェルンからも切り捨てられたらしい。
構う事はないと思う。もともとBSTシリーズは介護用サポートロボットとして開発されていたものだ。
『メカ千早』というBSTシリーズの完成系があれほどマンコミュニケーションに優れていたのは、ツートンチームや対面シミュレーションチームに多大な費用が割かれていたのは、一重に人間と共存できるロボットの製作という理念から来ているものだ。
これ以上企業同士の腹の探り合いに子供たちを使われるのは渡部としても願い下げではある。
 そしてもう一つが、正式な解雇と同時に6研のメンツはその殆どが同じ職場に勤める事になった、という事である。
これにはどうやら所長が大分奔走したらしい。6研のチームは総員20名弱で構成されており、今日日どこの会社もそれほど纏まったメンツを一挙に雇う余裕はないだろうと渡部は思う。
その辺りは単純に所長の奔走の結果であり、聞くところによればどうやらまだ買収される前に付き合いのあった会社に所長自らが出向いて頭を下げていたのだという。
意外にやるじゃんあいつ―――そう思って労いの言葉の一つも掛けてやろうと思い、渡部は朝食から所長の姿を探しているのだがあの野郎は本当にどこに行ってしまったのか。

 とりあえず朝飯の時に目の前に陣取った須藤に聞いてみようとはしたが、100年の恋も一気に冷めるようなとんでもない顔を目にして止めた。
須藤は新聞の代わりに新しく入居する予定のアパートの間取りを見ながらシリアルをもちもちと咀嚼していて、何か気付いた事があるたびに口の中一杯にシリアルをため込んで「あひゃなへはんあひゃなへはん」と言ってきた。
「渡部さん渡部さん」と言っているのは分かるが食うか喋るかどっちかにしろと思う。お前はリスか。

 結局実のある話は聞けずに喉にシリアルを詰まらせた須藤を無視して席を立ち、食堂をぐるりと見回すと深山と加持の野郎二人が目についた。
近寄って見て気がつく、珍しい事に三河もちゃんと朝食を取っている。
須藤よりは実のある話を期待して「あのバカどこに行ったか知ってる?」と聞くと、
「あー、所長スか? いや、俺見てないっす。加持は?」
「俺もです。朝から見てねっスよ」
「まだ寝てんじゃねえ? 昨日もずいぶん遅くまで起きてたみたいだし」
 深山の答えに渡部はため息をつく。
どうせそんなところだろうと思って食堂に来る前に所長の部屋はあたってみたがモヌケの殻だったのだ。
部屋にもいないし食堂にもいない。本当にあのバカはどこに行ったのだろう。
思案顔を浮かべた渡部は「え、何スか遅くまでって」「しらね。机の前に座ってたみたいだけど」「マジで? じゃ遅くなるわけだわ」と居汚い笑いとともに中二丸出しの会話を始めた野郎三人を汚物を見るかのような目つきで一瞥して食堂を後にした。

 本当にあのバカはどこに行ってしまったのか。
宿舎を練り歩いてみたし道行く休み丸出しの連中に立て続けに聞いては見たが誰も所長の行方を知らない。
宿舎にいないのであればまさか研究所の方に行ったのかとも思うが、昨日の資材運び出しで研究所の中には何もないはずだ。
まさか去りゆく郷愁を眺めるほど繊細なタマではなかったと思ったが、念のため渡部は研究所に繋がる廊下に足を向けることにする。

 ネットワークルームは外れだった。ツートン部屋も外れだったし仮眠室にはいるはずがなかったから見なかった。
何であたし所長の事探してるんだろうという根本的なところに思考が差しかかったところで、渡部は亀山部屋の扉が少しだけ開いている事に気が付いた。
亀山部屋を亀山部屋たらしめていた馬鹿でかいモニターは既に撤去されてしまっており、その他壁面いっぱいに置かれていたコンピューターも昨日のうちに全て運び出してしまったから亀山部屋に現在あるのは大人二人が並んで寝転がれるような寝台と「デカ過ぎて使い道がない」という身も蓋もない理由で置き去りにされた外部モーターだけのはずだが、所長は一体そんなところに何の用だろうか。

 扉を開けようとして渡部は躊躇った。
何となくこの部屋に入るのは嫌だと思う。ここはあの子が息を引き取った場所だ。
 あれから1ヶ月ほどが経ち、6研の職員は揃いも揃って全員がへらへらと笑ってはいるが誰もこの部屋には入りたがらない。
この部屋に入ってしまえばあの子の事を思い出してしまうと皆分かっているのだ。
 散々ためらった末に意を決して扉を開けると、ベッドに腰かけた所長の背中が目に入った。
「…何してるんですかこんなところで」
 所長は後ろを見ずに「おはよーさん」とだけ言った。
ため息すら出ずに所長に近寄ると、渡部の視界に外付けの大容量メモリが映る。確かこれはあの子のメインメモリを退避した奴だ。
何となく死者を冒涜しているような気がして所長を非難がましい目で見ようとし、渡部は所長の瞳にある真剣な光を見た。
「メシ食ったの?」
「所長は食べてないんですか」
「俺ぁ米派なの。シリアル食うとジンマシン起きる」
「ホントですか。じゃああたし今度所長のご飯にシリアル混ぜますね」
 ふざけた会話をしている間も所長はノートパソコンの画面から目を離さない。
渡部はため息をつき、置き去りにされた外部モーターに腰を下ろした。
ホントにマジで朝飯がシリアル一択しかねえなんてありえねえ、とブチブチ朝飯に文句を言う所長に息を吐くと、渡部は言葉を探す。
 あ、そう言えば、
「所長、知ってます? 明日ライブやるらしいですよライブ。確かチケット来てました」
「誰の」
「誰のって美希ちゃんに決まってるじゃないですか。関係者席だからかなりいいポジションみたいですよ」
 流石に全員分はありませんでしたけどと繋げると、ああそうと所長は呟いてちらりと渡部に視線を送る。
「渡部は行かねえの?」
「所長は行かないんですか?」
「そりゃ行きたいよ。行きたいけどさ、」
 そこで所長はようやく顔をあげ、メカ千早の最期の記憶が収められた外部大容量メモリに手を置いた。
「これの解析がひと段落しないとな、どうにもケツがむず痒い」
 やっぱり―――渡部は困った顔を隠そうともせずに俯いた。
大容量メモリにつなげられたUSBケーブルは所長の膝の上を占領しているノートパソコンのスロットに収まっていて、パソコンの画面が今何を表示しているかなど渡部は見なくても分かる。
今更だしもう何をどうやってもあの子は帰ってこないくせに、所長は真剣な目つきでここ最近ずっとパソコンのモニターとにらめっこを決め込んでいる。
「女々しいなあ」
 呟きに所長は再びモニターに視線を下ろす。文句を言ってこないところを見ると自分でも女々しいとは思っているらしい。
今更何をどうやったところであの子は帰ってくるはずがない―――所長から滲み出てくる雰囲気は如実にそれを表現していて、渡部は少しだけ頭を振った。
「ま、今更だけどな。だけどどうしても分かんないことがあってさ」
「何ですか」
 そこで所長は上を向き、渡部が驚くほど大きく首の音を鳴らした。一体どのくらい前からデータを洗っていたのだろうか。
「あいつ、最期になんて思ってたんだろうなって」
「あんまり冒涜するような真似してると化けて出てきますよあの子」
 それならそれでいいや、と所長は疲れた笑いをもらした。
もっともそれは渡部も同意見だし、かなう事ならもう一度会いたいとも思う。
「いやな、三河と須藤に最後にプロセッサとルーチン当たってもらったんだけど、最後までこっちからのアタック弾かれたんだ…って事は聞いてるよな?」
 765から帰ってきた渡部を出迎えたのは涙でふた目と見られない顔をした須藤だった。
予想をしていた結末ではあったが、コンパイラを噛ませたい程聞きづらかった須藤の話は渡部の予想をはるかに上回るものだった。
「聞いてます。メモリはパスキーが解読不能な上に随時変更、プロセッサはユーザーコードの微時変更でしょ。確かにあり得ませんね」
 まるでこのボディ以外で再起動したくないって言っているみたいでした、と須藤は泣きながら一部始終の話を閉めている。
 が、冷静に考えると相当におかしな話ではある。ユーザー権をあちら側で変更するなど本来は起き得ない話だ。
しかし実際のところその「起き得ない話」は現実に起きてしまったし、事実は小説より奇なりという名言が頭の中を這いずり回ったのはつい1ヶ月ほど前の話だ。
「…あの子にも、心はあったんですかね」
「さてな。まあでも、本当にそうだとしたら嬉しいね」
 投げやりな口調ではあったが、所長の口調には揶揄する響きはまるでなかった。
渡部が穏やかな表情を浮かべたのを見て満足したのか、所長は再びモニターに顔を落とす。
「まあそれでだ。もし可能ならあいつが最期に何でこっちのアクセスを弾いたのかなって知りたくてさ、今なんとかパスの解析にあたってるところ。最期くらいのパスキーなら何とかなりそうだから。あいつが、」
 会話の最中からキーを叩くカタカタという音が聞こえだした。
「あいつが最期に何を考えてたか、どうしても知りたくてさ」
 お前は、という視線に、渡部は一瞬だけ迷った。死人を冒涜するような行為ではあるが、しかし、
「…今、どのくらいまで進んでるんです?」
「化けて出るんじゃなかったのか」
 所長の疲れた笑みに、渡部は邪悪な笑みを作った。
「もう一回会えるんなら何だってします。ちょっと待っててください、あたしもパソコン持ってきます」



 結局須藤が渡部を探しに来たのは昼飯の時間ももうすぐ始まるころで、所長から今の作業の無意味さを聞いた須藤は脱兎の勢いで食堂に走って行った。
直ぐにどかどかという大勢の足音が聞こえ、何事かと周りを見回した所長の目の前で部下たちがニヤニヤしながらノートパソコンに火を入れ出したのは須藤が食堂目掛けて走り出してから10分もしない時間だった。
まったくこいつらは、という所長の顔にはどうしようもない笑みがあり、それを見た三河が「水臭いっすよ」と所長の横っ腹を殴る。
 瞬く間に亀山部屋はノートパソコンの光で埋め尽くされ、所長の脇に置いてあった大容量メモリにはIEEEが数珠繋ぎのように連結される。
各パソコンのCPUは久しぶりの骨のある仕事に唸りを上げ、それでも何とか解析の足がかりがつかめたのは深夜もいい時間だった。
もちろん解析の足がかりと言っても最後の部分だけだったし、これより前をアタックしようものなら今度はこっちのパソコンのプロセッサがイカれてしまう。
 途中まで解析をすすめて、所長は妙なことに気がついた。
 どういった経緯かはわからないし状況から見れば憤死寸前のプロセッサが最後の最後にパスキーを簡便化したと思うしかないのだが、どうやら最後から少し手前の圧縮パスには全体的に綻びのようなものがあるらしい。
「…これ、何か変ですね。ここだけ狙ってパスを簡単にしたみたい」
 須藤のつぶやきに所長はそうだなと答え、
「最期に何か伝えようとしたのかもな。俺たちなら解読できると思ってさ」
 IEEEで連結したプロセッサの量にものを言わせて解析を進めるが、結局これも8万ビットに満たない量の情報しか解析はできなかった。
しかし誰の顔にも満足そうな笑みがある。全員が一丸になって何かを成し遂げたのは久しぶりだ。

 結局8万ビットの解析が終わったのは翌日の昼間になった。久しぶりの徹夜だ。
深山は首をごきりと鳴らし、連結プロセッサが解読が90%を切ったところで所長の顔を見た。
「あいつ、最期になんて思ってたんでしょうね」
 深山の声に、所長の頭の中で勝手にあの時の声が蘇った。

―――ミキはもう、なかった事には、したくないの。

「…さあな。でも、なかった事にはできねえからな。そろそろ解析も終わるしな、見てから後悔するよ」
 そう言って、所長はIEEEに連結接続された各パソコンに解析の結果を送った。同時に茶目っ気が所長の腹の中に燻ぶる。
「せーので見るか?」
 疲れた笑いが亀山部屋を満たしたが、結局反対意見は出なかった。どうせならみんなで後悔しようと思っているのかもしれない。
というわけで渡部よろしく、と肝心なところを渡部に押し付けた所長に苦笑して、亀山部屋に集まった総勢20名弱の職員たちは一斉に渡部に注目した。
「…所長、前から思ってたことがあるんですけど」
「何よ」
「所長って、案外卑怯ですよね」
 職員の顔に苦笑が浮かぶ。ほっとけ、という所長の声に亀山部屋に笑いが満ちる。
どいつもこいつも久しぶりの徹夜に死ぬほど疲れているはずなのに、亀山部屋には不思議なほど穏やかな空気が流れている。
 渡部が息を吸い込んだ。全員がエンターキーに指を添える。たっぷり5秒ほどの間をおいて、渡部は大きな声で、

 せーの、



「…これ、美希ちゃん宛だよな」
 8万ビットの翻訳を何度も読み直し、三河は呟くように言った。
呟きは瞬く間に亀山部屋に伝播し、誰もがそうだと認めたところで所長は重々しくこう言った。
「誰か765のメルアド知らねえ? これ、送ってやろうぜ」
 所長の言葉に渡部は頷く。そう言えばこの間アポなしで突然来訪した事に対するお詫びをまだしていなかった気がする。
プレミア物のライブチケットを送ってくれる程度には向こうもこちらに気を使ってくれているようだし、近況を伝えておくのも悪くないと渡部は思う。
「あ、私知ってます。こっちのパソコンに入ってるから転送しますね」
 須藤がキーをパカパカと打つ音が聞こえ、所長のパソコンに765の営業部のメールアドレスが転送された。
さてどうやって書こうか。そう思っていたところに、加持の「あ」という頓狂な声が聞こえる。
「そういや今日って美希ちゃんのライブの日じゃないっすか! やっべーよ今からじゃ間に合わねえ」
 何せ高速を乗り継いで都内から出てきたほどである。
まだ間に合わない事はないはずだが今から行ったらライブの途中から入場することになってしまうし、周りも口々に「あー!」と叫んでいるところを見ると何となく美希のライブを最初からちゃんと見たいと思っていたのは加持だけではないらしい。
「あ、でも、テレビ中継でいいなら最初から見れますよね。確か今日って生放送されるんでしたっけ?」
 須藤の声に所長は救われた表情を作り、次いでまだ体力のありそうな若手たちに食堂にある大きなブラウン管を亀山部屋に持ってくるように指示した。
何でーと非難の声を上げる若手に向かい、

「いいじゃねえかここだって。あいつと一緒に見ようぜ」

 『あいつ』が誰を指すのか、そこにいる20名弱は一発で分かった。
若手たちは全く文句を言わずに食堂へと向かい、残った職員たちも今夜のライブに向けて仮眠を取りに亀山部屋を出ていく。
全員が出払ったところで、渡部は所長に向って口を開いた。
「…あいつと一緒に、ね。結構ロマンチストなんですね所長って」
「笑いたきゃ笑え」
 そう言ってむくれる所長に渡部は苦笑を洩らす。
「いいんじゃないですか? 所長が言わなかったらあたしが言ったと思うし」
「俺やお前が言わなくても、たぶん誰かが言ったさ」
 でしょうねと返し、渡部は所長のノートを分捕ってメーラーを起動させた。
あの子の最期の手紙は、何としても美希に見せたいと思う。
「何だ文面任せていいのか」
 全く。渡部はため息をついて所長に顔を向けた。
まったくこの男と来たら卑怯だし出不精だが不必要なまでに繊細でロマンチストだ。
「所長に文責任せたら問題ですからね。それに所長、」
 そこで渡部は、疲れた顔に苦笑を漏らした。
「メールなんてあんまり打ったことないでしょ?」
 所長はそのくらいあると強硬に主張するが、渡部は耳を貸さずに件名を入力し始める。



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