BST-072 (5)

5.

 その日美希が昼休みにおにぎりを持って音響部屋に行くと、相変わらず首にソケットを突っ込んだメカ千早の頭がゆらゆらと揺れていた。
最近はいつもこうだ。ソケットを突っ込んでいる間も外の音は聞こえているようで、メカさん、という美希の呼びかけにメカ千早は振り返る。
「ミキさん。今日は営業はないのですか?」
「出社は午後からなの。午前中は雑誌のインタビューに答えたよ」
 そうですか、とメカ千早は笑った。首の後ろにソケットがなければまるで千早に見える笑顔にドキリとし、あわてて目をそらした美希の視界に千早のCDの束が映った。
「…あれ? メカさん、これ先週も聞いてなかった?」
 そう言って美希が指さしたのは美希と千早のユニットがデビューして間もなく発売されたマキシシングルだ。
 問いかけにようやくプラグを引っこ抜くと、メカ千早はバツの悪そうな顔をして、
「7回目になります」
「そんなに聞いたの?」
 音響部屋に転がっているのは何もそのマキシシングルだけではない。史料室から持ち出してきた千早のCDは美希とメカ千早が両手で運んでも3回は往復した量だったし、美希の見たところメカ千早は持ってきたCD全てを順繰りに聞いているようだ。
 という事はつまり往復3回分のCDをメカ千早は7周もさせたことになる。
「ところでミキさん、先月も服をありがとうございました。まだお礼を言っていなかったと記憶しています」
「あ、いいよいいよ。メカさんの役に立てたならミキ嬉しいし」
 礼を言われたことにこそばゆくなって頬を掻いて下を見る。
 と、美希はそこで4カ月ほど前の自分の笑顔を見た。写真の中では美希と千早が両手を組んで映っている。
 次に顔を上げたとき、美希の顔に笑いはなかった。
「―――千早さんの歌、上手いもんね」
「ウマ、イ」
 オウム返しをしたメカ千早を見て、美希は肩の力を抜いたようにふっと顔に作り物の笑い顔を張り付ける。
「うん。何て言うのかな、感情を乗せるのがうまいっていうか、そんなの」
「カンジョウを、乗せる」
 そう、と美希は続け、
「歌詞って生き物なんだって。棒読みしたら歌詞は死んじゃうんだって。歌手の仕事は、聞いてくれる人に生きた歌を届けることなんだって、千早さんが教えてくれたの」
「―――理解、できません。文字は文字です。歌とは歌詞を音程に乗せて声を出すことではないのですか?」
「ミキもね、最初はそう思ってた」
 美希はそこで、作り物の笑顔の代わりに遠い大切な思い出を思い出すかのような表情を浮かべた。
「千早さんってすごいんだよ。歌詞のキモチが分からないとどんどん調べちゃうの。前なんて作詞家の先生の家にまで押し掛けて書いた時の気持ち聞いちゃったくらい。ミキも一緒に付いていったんだけど、千早さんと先生の話が全然分かんなくて、でもその後に千早さんの歌を聞いた時、ぜんぜん前と違っててびっくりした」
「前と、違ったのですか?」
「うん。全然違うの。あのね、歌ってるところはおんなじなんだけど、ココロの中に景色が見えるって言うのかな、歌ってる歌の景色みたいなものが浮かんでくるの。ああ、これが生きてるってことなんだって、その時初めて思った。歌は生き物なんだ、だから棒読みなんかしちゃいけないって、その時ミキは初めて思ったの」

 美希は今、遠い遠い数か月前を思い出している。
何もかもが新鮮で、何もかもが楽しくて、右を見ればプロデューサーが笑っていたときを、左を見れば千早が苦笑していたあの時を思い出している。

「ココ、ロ、」
「ココロのない歌は棒読みと同じだって、千早さん言ってた。だから、ミキも歌詞の事勉強したの。ホントだよ? そのあと、勉強したとおりに千早さんに歌ったら、そういう解釈もありねって」
 凄くうれしかった、と美希は続けた。
「―――オリジナルは、凄いのですね」
 そこで美希は意を得たりとばかりに笑い、
「うん。すっごくすっごくすごい人。美希が尊敬してる人の一人だよ」
 そこには隠しきれないほどの誇りがあった。隠す気もないのかもしれない。
 それを見たメカ千早のプロセッサが、若干のインターブを経て美希に真顔で向き合うように指示する。
 口を開く。

「私にも、歌を歌う事は可能でしょうか」

 言葉に美希ははたとメカ千早を見た。まるで無表情を絵に書いたようなメカ千早の表情を見て、美希は実に不思議そうな顔をする。
まるで歌えないのかと問いたげなその表情に勇気づけられたのか、メカ千早はプラグをアンプに刺し直した。とたんにアンプから大音量の音楽が流れ出し、美希はあわててコンソールのボリュームを下げにかかる。
 メカ千早が人工肺に空気を吸い込んだ。人工肺に取り込まれた酸素は循環液中に無数に存在するヘモグロビン状の構成物質に充填され、全身の人工筋肉に活動に必要な酸素を供給する。これにより人工筋肉が活性化され、声帯発音が可能となるのだ。メカ千早は取り込んだ酸素によって声帯が大音量発声可能な状態になったことを確認すると、都合7回も聞いたことでしっかりと歌詞がインプットされた第3メモリから歌詞をロードする。

 掛かっていた曲は、『おはよう!! 朝ごはん』だった。


 もちろん、残念な結果に終わった。
 すっかり意気消沈してしまったように見えるメカ千早に向かい、美希はあわててフォローに回る。
「あ、朝ごはんは結構難しいもん。最初はそんなもんだよ」
「オリジナルは、凄いのですね…」
 まあ千早さんだし、という何の慰めにもならない言葉をかけ、美希はどうしようこれと思う。
「音声デバイスは正常ですし、歌詞も誤ってはいなかったと記憶しています。音程も取れていたとは認識しているのですが、」
 そこで再び下を向いてしまったメカ千早を見て、美希はそうだ、と思う。
「じゃあさ、昼休みの間、歌の練習するってどう?」
「練習、」
 そうそう練習、と美希は続け、
「いきなり朝ごはんなんて無理だよ。発生とかもちゃんとしなきゃだし、ピッチ取りとかメカさんやったことないでしょ? 最初から始めれば、メカさんだってきっと上手くなるってミキ思う!」
 カメラアイに美希の必死な顔が映った。
「うまく、なる、でしょうか」
「なるよ。絶対なる! 保証する!」
 強い口調で言う美希に、メカ千早は何も返さずに美希を見た。美希の表情はどこか必死な決意があって、メカ千早は何も言い返せずにいる。
「ミキ、教えるよ! 絶対うまくなるって!」
 プロセッサが計算を開始する。ここで美希の申し出を断っても何にもならないという判断が瞬時に返され、メカ千早は改めて真面目な表情で美希に向って頭を下げた。
「―――では、よろしくお願いします、ミキさん」
 よろしくされるのー! と美希は嬉しそうに言い、その後ふと我に返ったのか、
「あ、でもでも、そろそろミキの事さん付けで呼ぶのやめてほしいって思う。ミキとメカ千早さんは友達なんだし、友達はさん付けで呼ばないんだよ」
 と唇を尖らせた。眉根をよせてむーと唸る美希にメカ千早は笑顔を作り、
「では、改めて。よろしくお願いします、ミキ」
 敬語もいらないのにー、と言う美希に、これが精一杯です、とメカ千早は答える。



『苛めてなんていません。私は思ったことを言っただけです』
 何をどう見てもイジメの現場だと思う。テーブルに突っ伏した美希は『あううー』と言ったきりぴくりとも動かない。
放っておいたら頭から煙の一つも立ちそうな美希の様子にプロデューサーは苦笑して、
『何言ったんだよ千早。怒らないから言ってみ』
『…怒られる心配なんてしてません。ただ、美希が余りに歌を殺しているから、歌は生き物だって言っただけです』
 ああなるほど、と思う。
美希はどうも千早のストイックさに惚れ込んでいる節があり、千早に音楽談義を申し込んではことごとく玉砕していた。今回もその延長線上にあるのだろう。
 先日も2人は連れ立って―――と言うよりは美希が千早にくっ付いていく形で作詞家を訪ねていたようだが、この様子では作詞家の家で本当に湯気の一つも上げていたかもしれない。
 ちょっと考えて、
『それ、俺にも教えてくれよ。歌が生きてるってどういう事だ?』
 美希の頭がのそりと動き、赤みまでついた頬がプロデューサーの視界に入る。
『プロデューサーまでそんな事を言うんですか。幻滅しましたよ』
『人は無知から智へと至るのだよ千早君。分からないことを分からないままで過ごしてしまうとその後の人生後悔だらけだぞ?』
 まったくもう、と千早はあきれたようにそっぽを向いて、
『歌にはいろいろな気持ちがこもっているんです。歌詞や音程だけではなくて、たとえば作詞家の方はどんな気持ちでこの歌詞を書いたのかとか、そういったことを理解しないで歌を歌えば、それは単なる棒読みになってしまいます。シンガーの仕事は、作詞家や作曲家の意図を正確に読み取り、そこに歌い手の気持ちを乗せて聞いてくれる方に届けることだと私は思います』
『…だと。美希、分かったか?』
『分かんないの』
 諦めたように首を振り、再びプロデューサーと美希を見た千早の瞳には明らかに挑戦の色があった。
『…いいでしょう。そこまで言うのなら実際に歌った方が早いでしょうね』

 目が完全に座ってしまっている千早に圧倒される形で、プロデューサーと美希はサウンドトレーニングルームへと向かう羽目になった。
 幸いなことにトレーニングルームは空いていて、プロデューサーは管理から受け取った鍵をくるくる回しながらコンソールに火を入れる。美希はと言えばボイスルームに入った千早の背中を見ながらいつものごとく欠伸をしていて、やれやれと準備を終えたプロデューサーは美希の隣に座る。
『何だよ美希、昨日遅かったのか?』
『ううん、そんな事ないの。でも、ちょっと眠いかも…あふぅ』
 そんな事ないと言いながら欠伸をかます美希に苦笑して、千早に身振りで準備完了を伝える。千早はガラスの向こうでひくひくと痙攣しながら、『てめえ耳の穴かっぽじってよく聴きやがれ』的な視線を未だ欠伸の最中の美希に投げている。
『…しかしまあ、千早の言い分も分からないではないな。情緒豊かに歌うっていうのは歌の基本みたいなもんだし』
『千早さんも同じこと言ってた。歌はココロで歌うんだって。ココロのない歌は棒読みと同じだって。…でも、そんなの分かんないよ。ココロって嬉しいとか悲しいとかそういうのでしょ? そんなのどうやって歌に乗せろって言うの?』
 ばつん、という音がして、ガラスの上隅2か所に設置されたスピーカーがボイスルームの中の音を拾い出す。イントロが掛かり出し、それまで敵兵を見る中隊長のようだった千早が目を閉じた。
『ま、それを今から千早がやってくれるって言うんだ。よかったじゃないか、これも勉強だよ』
『むー。ミキ、勉強嫌いなの。それに、作詞家さんの家に行ったのはついこの間なんだよ? いくら千早さんだってそんなに変わらないってミキ思うな』
 挑発とも取れる言葉は防音ガラスのおかげで千早には聞こえない。
 が、もし仮に美希と千早が並んで立っていたとしても、イントロの掛かった曲に同化した千早にその言葉が届くとはプロデューサーは思わなかった。
 1番の歌詞が近づいてくる、いまだ欠伸を漏らす美希の前で、千早が大きく息を吸う。

 曲は、『蒼い鳥』である。


 吹っ飛ばされた。ひとたまりもなかった。
 自分では納得いかなかったのか、千早は歌い終わった後もボイストレーニングを続けると言い出した。
 幸いこの後入っている仕事は美希に対してのファッション誌の単独インタビューだけだったため、千早に後で迎えに来ると言ってプロデューサーは美希を助手席に乗せた。高速を使うまでもないトレーニングルームと会社までの道中の間、美希はただの一言も漏らさなかった。
 さすがに不安になる。この後のインタビューは美希の普段の服装について聞かれるという至極簡単なものではあったが、インタビューは喋ってなんぼの商売である。
『どうしたんだよ美希、さっきから黙ってばっかじゃないか』
『え、そんな事ないの』
 嘘つけ、とプロデューサーは笑う。
 もうとっくに事務所が取った月極の駐車場には着いていて、しかし先ほどから美希はぼんやりと窓の外を眺めるばかりだ。
 笑われたことに気を悪くしたのか、美希は眉根を寄せてプロデューサーの方を向いた。が、その表情に怒り以外の色が見え隠れしていて、プロデューサーは笑ったままの顔で美希の言葉を待つ。
『ね、プロデューサー。やっぱり、千早さんの歌って前と違った?』
『…そうだな、前はもっとしっとり歌ってたけど、今回は結構強めの』
『そういうんじゃなくて』
 そんな事言われても。プロデューサーはあくまでプロデューサーであって音楽の知識など高校の選択科目止まりであり、専門的な知識など皆無に等しい。
が、だからこそその視点はあくまで一般消費者の視点であり、おそらくは美希が求めている回答もその辺にあるのではないかと思う。
『…まあ、違うわな』
 やっぱり、と美希はがっくり項垂れた。
『ミキね、全然分かんなかったの。前とほんとに違うのはわかるんだけど、何で違うかが分かんない。あれがココロを乗せるってことなの?』
 まあたぶん、とプロデューサーは適当に答え、
『色々だと思うぞ歌い方だって変ってたし。作詞家の先生んとこ行ってまで詩の意味聞いてきたんだろ?』
『ミキ、ちんぷんかんぷんだった』
 さよか、と返した。
 確かに千早はシンガーとして相当に優秀な部類であり、プロデューサーをして今だに分からない専門用語を使ったりもする。そのあたりはプロデューサーとしても頼もしくは思っていたが、なるほど一緒にユニットを作っている方としては堪ったものではないだろう。
 見ると美希の表情からは怒りの色が抜け、焦りと不安の色合いが混じった表情を浮かべている。
『どうしよう…。ミキ、千早さんに置いて行かれちゃうかも』
『だったら、追いつくっきゃないじゃん』
 プロデューサーのあっけらかんとした物言いに美希はきょとんとした表情を浮かべ、次いで、
『どうやって?』
 ゆとりめ、とプロデューサーは本気で思う。
『どうやってってお前、それは美希が自分で考えるっきゃないだろ』
『だって…。考えたって当たってるか分かんないし、考えてる間も千早さんはどんどん先に進んじゃうし。結局ミキは千早さんに追いつけずに終わっちゃうの』
『お前な…。例えばさ、さっきの“蒼い鳥”はそうだな、言うなれば千早バージョンな訳だろ?』
 言葉に美希は再び呆けたような表情を浮かべ、
『千早さんのバージョン?』
 プロデューサーは頷き、
『さっき千早が歌ったのは作詞家の先生んとこまで行って考えた“蒼い鳥”バージョン千早なわけよ。で、美希としては千早の歌い方パクんのはやなんだろ?』
 美希が頷いたのを横目で確認して、
『じゃあ、今度は美希が考えた美希バージョンの“蒼い鳥”を千早に歌ってみればいい。多分それが、千早が言ってた歌が生きてるってことになるんじゃないか?』
『ミキのバージョンの、蒼い鳥、』
『美希なりに歌を解釈して、そこに美希が思ったことを乗っけて歌えばいい。それなら千早も納得するだろ』
 すると美希はふんふんと頷き、それでもなお自信がないのか、
『ミキ、できるかな』
『出来なきゃ置いてかれるわな』
『…プロデューサーってイジワルなの』
『大いに悩め若人よ』
 針でも刺したら破裂するのではないかと思うほど膨らんだ美希に、プロデューサーはへらへらと笑う。
 そろそろ記者が事務所に到着する時間だし、ランクを考えるまでもなく記者を事務所で待たせるのはまずい。プロデューサーは車のサイドブレーキを確認して、
『まあ、美希なら出来るんじゃないか?』
『ホント?』
『実際は美希次第だけどな。大丈夫だよ、保証する』
 そう言って、運転席のドアを開けた。美希も続いてドアを開ける。
 事務所は目の前にあり、そろそろ記者が到着し、美希には大切な宿題が残される。
『…うん、やってみるの』
『おう。信用してるからな裏切るなよ。…あとそうだ、インタビュアーの前で欠伸とかするんじゃないぞ、失礼だからな』
『それは難しいかも。…あふぅ』
『なにお前早速!?』



 これが、遠い遠い数か月前の思い出だ。
 何もかもが新鮮で、何もかもが楽しくて、右を見ればプロデューサーが笑っていたときの、左を見れば千早が苦笑していたあの時の思い出だ。


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