6.

 例の馬鹿でかいモニターがある部屋には「第3モニタリングルーム」という大それた名前があるが、あだ名好きな研究員たちは「第3モニタリングルーム」の事を亀山部屋と呼んでいる。
力士の稽古場のような名前はさて置くにして、亀山部屋を出て右に折れるとつい先月原因不明のエラーに悩まされていた変換チームが詰めるツートン部屋がある。
先月の末についに原因不明のエラーの最大の理由が所長にあると突き止めた深山は変換チーム全員で罠を張り、2徹の末に苦心して作った変換用プロトコルを何の断りもなく弄り倒した大罪人を素手でボコボコにした。
あれで懲りただろうと思ったが、あのバカは今度はどうもネットワークチームの方にちょっかいを掛けたらしい。
次にやったら去勢してやると世にも恐ろしい脅しはかけておいたはずなのだが、と深山は無精ひげをさすっている。
 深山からカメラを外し、件のネットワークチームの作業室をのぞいてみよう。
 ネットワークチームには奇天烈なあだ名をつける者はいないため、あくまでもネットワークチームはネットワークチームである。
ネットワークチームはドールが活動していない間は仕事がないため、前日のバックアップを取る以外は夜間の仕事は基本的にない。が、どうも中で誰かが作業をしている雰囲気がある。
 中をのぞいてみよう。
「あれーだめだ、だめですー渡部さんやっぱりメインメモリの消費が半端ないですー」
「何でよ。圧縮かかってるんでしょーちゃんと見てみなよ加奈ちゃーん」
 中では渡部と須藤が恐ろしい顔でモニターとにらめっこをしている。
 そんな事言われてもー、という須藤の顔は前日の徹夜と初期設定ではありえないメモリの消費量からくる疲労に色濃く彩られており、誤解を恐れずに言うならばゲルニカの様相を呈している。
「だってー、先月まではまともに圧縮処理かけてたんですよー。ホントにこの1か月の消費はおかしいですって」
「知らないわよそんなこと言われたって。大体定期バックアップも取れないなんてことありえないじゃない。その前までは取れてたんでしょちゃんと?」
 とれてましたー、と須藤。まさに故国スペインを焼き払われた表情に渡部もまた疲労の色濃い溜息をつき、
「でもさ、こっちは受信オンリーなんだからあたしらはドールのメモリ弄れないじゃない。ってことはやっぱりこの一カ月で劇的な変化でもあったって考えるのが自然じゃない?」
「でもー、何かこのメモリの構造変化って068の時と一緒なんですよ。あれって確か仮想マシンまではこぎ付けたんですよね?」
 こぎ付けたも何も仮想マシンまで行った人格プログラムの試作機はあれが最初だった。
 現行のドールに集約されたBST計画は須藤が入社する前から動いていたらしく、須藤が最初に手掛けたネットワークプロトコルはそもそも068用のものだった。
が、その当時はまだソフトウェアとハードの相互関係から転送用のネットワークアダプタに至るまで何一つ完成していたものなどなく、唯一つだけ先走って仮想マシン上で動いていたのが三河率いる対面シミュレーション構築チームだった。
対面シミュレーションはどうしても生身の人間とのコミュニケーションデータが必須であり、あの当時最先端を誇った仮想マシンにシミュレーション用のデータをぶち込んだのだ。
「どういう事よ068の時と一緒って。あれってまともに動いてたんでしょ?」
「私もあっちのチームじゃないんで結局068がポシャった理由は分かんないですよ。分かんないですけど、確か068ってデータの蓄積でイカれちゃったんじゃなかったんでしたっけ?」
 068は運用当初チームの想像以上に動いていた。
まだ小型集音マイクのプロセッサ同調が上手くいっていなかったためにコミュニケーションはキーボードと画面を介して行われていたが、確かに仮想マシン上の068は滑らかに話したし冗談に笑ったし悲しい話に泣いたりもしている。
それはすべてターゲットに潜入してから円滑にコミュニケーションをとるためであり、その点で068は確かに一面の完成を得たと言っていい。
 が、運用から2週間ほどたったある日、三河が悲鳴を上げる事態が起きた。
「データの蓄積?まだ圧縮とかの技法はなかったって事?」
「渡部さんって変換チームでしたっけ。何かですね、蓄積したデータを圧縮するプロセスはあったらしいんですよあの時も。いや、今のとは違いますよ?で、最初はほんとにデータ圧縮されて転送プロトコル用に変換もされてたらしいんですけど、ある時を境に馬鹿みたいにメモリが圧迫され出したんです。三河さんは『068に感情が生まれたんだっ!!』とかって言ってましたけど」
 あの人も相当疲れてましたからと続けた須藤に、渡部は心の底からのため息をつく。
 馬鹿も休み休み言って欲しい。確かに068はヒューマンインターフェースをベースに開発されてはいたが、感情などという情報回路の構築などしていなかったはずだ。
そもそも感情は過去の経験や心情を軸にして構築されるものであり、いかな高度設計を用いたとしても現行のプロセッサでは計算などできない。できないし、もしやろうとしたら高負荷にショートしてサヨナラだ。
まして068は072の4代も前のモデルである。いかに高速な仮想マシン上でもそんな事は出来っこないのだ。
渡部の記憶が確かなら三河はあの頃からシャブに手を出したはずで、ヤク中の幻覚と言えばそれまでのような気もする。
 渡部としてもヤク中のラリった暴言の果てに亀山部屋からネットワーク室に呼び出されたのでは堪ったものではなく、溜息が怒気に変わるのをどこか頭の冷静な部分が観察している。
「で?068の末期と同じようになっちゃった072はこのあとどうなるわけ?」
 どうなるって言われても、と須藤はしょんぼりと萎れ、
「メモリの容量は068と比べたらダンチで違うんで、まだ何とも言えないんですけど。修正用のプログラムっていうか初期設定のバックアップがあるから、こっちからドールにアクセスできるなら直しちゃいたいんですよ。所長にばれたらすっごい怒られるし」
 だからこっちからアクセスはできないって言ってるのに。
 渡部はため息をついて首を振り、須藤のがっかりとした表情を尻目にネットワーク室の扉を開ける。


 まったくろくでもない時間を過ごしてしまった。
 渡部はそもそも変換チームの一員でネットワークチームの仕事内容については完全に理解しているわけではないのだが、研究所に10人いない女性研究員の中で先輩後輩の間柄になってしまった須藤は事あるごとに渡部さん渡部さんと声を掛けてくる。
仕事が別段忙しくもない時ならかわいい後輩で済まされるのだが、向こうがゲルニカならこっちは燃えるキリンである。仮眠用にとやっとのことで取った時間を無意味に費やしてしまったような気がして、渡部は普段自分で淹れてしまうので滅多に買わない缶コーヒーを買うため、ベンダーに100円玉をぶち込んだ。
文句の一つも言わずに礼を言うベンダーにコーヒーを差し出され、反射的に頭を下げそうになって渡部は頭を振った。
 まさかね、と思う。
 誰だって礼を言われれば悪い気はしない。基本的に068以降のBSTシリーズのドールに組み込んだ感情用プログラムはこれの延長線上にあるもので、人間でいう脊髄反射と似たようなものだ。
068のその後の開発が破棄された後、確か感情プログラムは喜怒哀楽の4系統に限定して設定されるようになったはずで、メインメモリの圧迫につながる複雑な感情コントロールの情報回路は積まれていないはずである。
 大体にして、もし本当に感情があるのなら少しはこっちの方も慮ってほしい。もうどれだけ家に帰っていないか渡部自身カウントするのも気が滅入る。
須藤も須藤だ、あっちが忙しいのはわかるし野郎だらけのネットワークチームに一人だけの年若い女性と言う同情の点もなくはないが、もう入社して1年くらいは経つんだしそのくらいは察してくれても、

――――――確か068ってデータの蓄積でイカれちゃったんじゃなかったんでしたっけ?

 渡部は豪快にも腰に手を当てて缶コーヒーを飲み干すと、亀山部屋まであと少しの自販機コーナーから踵を返した。
 確か須藤が手に持っていたのは自律用デバイスのトンツーだったはずだ。あれを当たればひょっとしたらわかるかもしれない、と渡部は思う。
もういい加減寝ていなさ過ぎて半ばストライキを起こしていた脳味噌が一気に覚醒していく気がする。あってはいけないとまでは言わないが、もし渡部が考えている通りなら072の不可解なメモリ圧縮の理由ができる。
 大股でどかどかとダクトだらけの通路を進んでいく様はとても婚期を考える女性には見えないが、そのことがかえって渡部のダリ具合を助長させているのか擦れ違う研究員たちが十戒のごとく通路の脇に避難している。
 と、進んでいるうちに寝起きと思しき三河のツラが見えた。
「三河っ!!!」
 馬鹿デカい声で呼んだのに、三河はまるで夢遊病患者のようにふらふらとおぼつかない足取りで洗面所に向かっている。
ムカついてインスタント空手の正拳突きを背中に見舞うと、三河はそこでようやく渡部に気づいたのか、
「あれ渡部さん、おはよーございます」
「ねえ、068の開発資料って残ってる?残ってるわよねどこにあるか知ってる?」
 渡部の剣幕に一発で目が覚めたのか、
「ま、068っすか?068の開発資料なら確か所長が―――」
 そこまで聞いて、渡部は再び歩き始めた。結局あの野郎のところか、と呟きながら遠ざかる渡部の背中はまるで鬼のようで、三河は一緒に出てきた同僚に「俺何かしたっけ?」と尋ねる。



 そもそも感情は過去の経験や心情を軸にして構築されるものであり、いかな高度設計を用いたとしても現行のプロセッサでは計算などできない。できないし、もしやろうとしたら高負荷にショートしてサヨナラだ。
 そして072はその目的により、現在猛烈なスピードで経験を積んでいるはずなのだ。
あのバカは子供だと言っておきながら、068の愚行を再び繰り返そうとしているのか―――そこまで考え、鬼と化した渡部はそこで歩みをぴたりと止めた。
 そんなはずはない。そういうところに関して渡部は結構所長の事を信用している。
と言う事はつまり、所長の予想をはるかに超えた何かがドールに起きているという事になる。
 今更だがこちらからのアクセスを極限まで制限したのは失敗だった。逆探知される心配はないはずだが、万が一以上に億が一を考えたのは他ならぬ渡部自身だ。
極限までアクセスを落としたとはいえ、今からでもこちらからトレースすることは可能だろうか。
 
 そこまで考え、渡部はふと力を抜いた。

 何だ、これじゃあたしもあのバカと同じ穴のムジナじゃないか。



SS置き場に戻る        BST-072に戻る             その5へ     その7へ

BST-072 (6)

inserted by FC2 system