BST-072 (Epirogue)

Epirogue

 ラストライブの打ち上げは凄惨を極めた。
忙しすぎて結局プロデューサーの退院祝いもしていなかったから、ラストライブの打ち上げとかねてなし崩し的に行われた退院祝いでプロデューサーは再びマットに沈む羽目になった。
 その翌日、二日酔いに恐ろしい痛みを味わいながら出社したプロデューサーがパソコンを立ち上げると、営業部全体にLANで繋がっているメーラーが新着メールを表示した。
一覧にまとめられたメールは美希の営業依頼や千早の今後のプロモーション展開に使えそうなオファーが朝だけでは処理しきれないほどに並んでおり、溜息をついて受信メールをスクロールさせたプロデューサーの視界に不思議な件名が目に入った。
「765プロデュースの皆様へ」と銘打たれたそのメールには本文がなく、1つだけ圧縮処理の掛けられた添付ファイルが同封されていた。
差出人のアドレスは何故か空欄で、しかしアットマーク以下のホスト部には「kisaragi.co.jp」と記載されている。
念のためメーラーごとウィルスチェックはしてみたが、やたら長い時間をかけてチェックをした割にチェッカーは何の反応も示さなかった。
はて、と思って添付ファイルを解凍しようとしたら、不思議な画面が表示された。
「あの子の正式な名称は?」と書かれた解凍プログラムのダイアログは、しかし美希が出社したことで解決を見た。
 美希はプロデューサーの目の前で表情を浮かべずにキーボードの前に座り、慣れないキーボードに3分も時間をかけて人差し指で「あの子の正式な名称」を入力した。
 B、S、T、‐、0、7、2。
「誰よそれ?」
 プロデューサーの質問に答えず、美希は黙ってエンターキーを押した。
すぐに解凍プログラムが動き出し、ほんのわずかな時間をかけてファイルは解凍された。
画面に現れたのはドキュメントファイルが一つと圧縮ファイルが一つで、美希はプロデューサーの顔を見た。
「見ていい?」
 見ていいも何もプロデューサーはパスキーを知らなかったのだからプロデューサー宛のメールではないのだろう。
黙ってうなずくと、美希は少しだけ緊張したような面持ちでドキュメントファイルを展開する。
 以下に、その全文を転載する。

――――――――――

765プロデュースの皆様
星井美希 様

 如月重工第6研究所の渡部です。先日は突然お邪魔してしまいまして、大変失礼いたしました。
 このメールを書き出したのは美希さんのライブの前だったのですが、結局書き出せたのはライブが終わってからになってしまいました。

 6研の近況を、先にお伝えしておきます。
旧如月重工第6研究所は、BST計画の終了をもって閉鎖されることになりました。構う事はない、と思います。
私たちの子供をこれ以上つまらない事に使って欲しくない、とこちらは誰もが思っています。
 私たちは今日付けで解雇になりますが、縁あって他の会社に再就職が決まりました。
美希さんは覚えていらっしゃるかと思いますが、代表(所長の事です)の奔走の結果です。
その辺りでバタバタしてしまっていて、まだこの間の訪問のお詫びをしていなかったと思いましたので、メールではありますが改めてお詫び申し上げます。

 このメールを打つ前、あの子のメモリを少しだけ解析することに成功しました。
もっとも、少しだけと言っても本当に最期の部分だけで、他の部分はこちらでは到底太刀打ちすることができません。
あの子のプロセッサが作ったパスキーはおそらくどんな高性能な機械を使ったところで解析は出来ないでしょう。
これはこちらの力不足以外の何物でもないのですが、それでも最後の部分だけは美希さんに見ていただきたく思いまして、ファイルに同封させて頂きました。
また、メモリ解析には思ったより時間がかかってしまい、結局チケットを送っていただけたのにライブに伺う事は叶いませんでした。
せっかく送っていただいたのに、申し訳ありません。

 あの子は、幸せだったと思います。
私たちがあの子にやらせてきた事はきっと許されることではないのだと思いますが、それでも美希さんに友達と言ってもらった時のあの子はきっと幸せだったのでしょう。
そちらに送る前に解析の結果を見たのですが、私にはそうとしか言えません。
いつかあの子が言っていたように、あの子は歌に自らの存在を見出したような気がします。
それはすべて、美希さんがあの子に教えてくれた事です。
今さらだとは私も思いますが、改めてお礼をさせてください。

 テレビではありましたが、ライブは最初から最後まで拝見させて頂きました。
あの子は最高の友達を持ったのだと思います。
メールを打とうと思っていたんですが、結局私も最初から最後までテレビから目を離せませんでした。
6研の職員たちはみんなで第3ネットワークルームに集まって見ていたのですが、途中から三河や須藤(覚えていますか?)が泣き出してしまって大変でした。
あの子に最期の動力を提供していた外部モーターと一緒に見ていましたから、きっとあの子も私たちと一緒にライブを見ていたのだと思います。

 あの子の事を友達と呼んでくれて、ありがとうございました。
 あの子に名前を付けてくれて、ありがとうございました。
 あの子もきっと喜んでいたと思います。
その部分に該当するメモリを解析することはもう決してできませんが、もし見れたとしても私は見ようとは思いません。
きっと、解析結果は予想通りでしょうから。

 同封した添付ファイルにも失礼ながらパスワードを設定させていただきました。
パスワードは美希さんにとってはとても簡単なはずです。私たちにとっては生涯決して忘れる事はない名前です。
添付のファイルの中身は解析して翻訳したあの子のメモリです。
あの子がどうして出来もしないユーザー権の変更ができたのか、どうしてメモリのパスキーがここまで複雑になったのか、私たちはこれを読むことでようやく理解できました。

 最後になりましたが、4月から美希さんも再びアイドル活動をすると聞いています。
あの子もどこかで見ていると思います。
 まだ寒い日が続きますが、お風邪など召しませんようお祈りしております。

如月重工第6研究 職員一同

――――――――――

 渡部からのメールを最後まで読み、美希はプロデューサーの顔を見た。
プロデューサーはやれやれと頭を振り、一つだけ頷く。
 礼を言ってマウスで同封の圧縮ファイルをクリックすると、再び現れた解凍プログラムのダイアログにはこんな文言が提示される。

あの子の、本当の名前。

 やはりこれもキーボードに不慣れな美希は3分ほどの時間をかけて正解を打ち込み、やがて画面にはドキュメントが表示された。
美希は表示されたメカ千早のメモリ解析結果の表示を何度も見て、やがて穏やかな顔でプロデューサーに向き合った。
「友達か?」
「うん。美希の大切な大切な友達。―――友達の話、聞いてくれる?」
 プロデューサーは黙って頷き、気がついたようにちょっと待ってろと言って給湯室に出向く。
帰って来たプロデューサーが中身を茶で満たして持っていたのは友禅でアルファベットのPと書かれた湯呑と、美希用に作ってあった星のマークの入った湯呑だ。

 そして、美希はプロデューサーが眠りこんでいた半年を、メカ千早という友達が横にいてくれた半年を思い出すかのように語った。
結局その日は仕事にならず、ただ美希の話を聞くだけで終わったが、聞き終えた後にプロデューサーはこう言った。
「いい、友達持ったな」
「…うん。美希の大切な、最高の友達」
 そう言って、美希は穏やかに笑った。


 話の最後に、メカ千早からの手紙の全文を記載する。

――――――――――

 ミキ、覚えていますか。
 初めて会ったとき、ミキは私に向かって友達と言ってくれまシた。
あの時はどうしてそう言ってくれたのか分かりまセんでしたが、今では心からミキに感謝しています。
 私には目的がありませんでシた。
本当の目的は聞いた通りでシたが、初めて765に行った時は確かに私には目的がありませんでした。
だから、私はオリジナルになろうと思ったのです。
もしオリジナルになることができたら、私は私として生まレた意味がきっと出来ると思ったのです。

 あの時、私とオリジナルを明確に分けていたのは歌だと思っていました。
もし歌を歌う事が出来たなら、私はオリジナルになれると思っていました。

 ミキは、歌うにはココロが必要だとオリジナルが言っていたと教えてくれました。
ココロとは何なのか、いまだに私にハ分かりません。
ですが、ミキのランクアップの時に得られたものは、確かにココロなのだと思います。
それはとても得がたいもので、それはとても尊いもので、ですがだからきっと、私にも『蒼い鳥』が歌えたのだと思います。
きっとアの時、私は心を得られたのだと思います。

 だから、病院の屋上でミキがもうやめると言ったとき、私はとても嫌でした。
私に歌を教えてくれたミキが、私に心をくれたミキが変わってしまウノがどうしようもなく嫌だったのです。
 誰も誰かの代わりにはなれません。
私に心をくれたミキが今までのミキから知らないミキに変わってしまうのが、私はどうしても嫌だったのです。

 私は最初、オリジナルになりたいと思っていました。
今だから思います、私はきっとミキにとっても、誰にとってもオリジナルの代わりにはなれなカッタのでしょう。
 ですが、私はそれでいいと思います。
初めて律子さんが私に何にでもなれると言ってくれた時、私は本当に困惑しました。
 ですが、ミキはそんな私に心をくれました。

 病院の屋上で、美希は誰も誰かの代わりにはなレナイト言っていました。
私もそう思います。私はもう、オリジナルになりたいとは思っていないのです。
そして、願ったのです―――私がオリジナルの代わりになれないように、誰も私の代わりになりませんように。

 モニターに映ったユーザーの言った『私の代わり』とは一体、誰なのでしょう。
私はミキの友達であり、ミキの友達デアル私は私以外にいないで欲しいと願いました。
今、ユーザーたちが私のメモリを解析している事は分かっています。
ですが、私は絶対に私以外の体でもう一度立ち上がりたクハない。
このまま死んでしまってもいいと思いました。ロボットの私ですが、もし許されるなら、一つだけわガママを言わせて欲しかったのです。

 ミキの友達である私は、私だけでいたかったのです。

 ミキ、覚えていますか。
 最初に私を友達と言ってくれたのは、ミキです。
 歌を歌う喜びをくれたのは、ミキです。
 私に心をくれたのは、ミキです。

 私は、今までずっとミキに支えていて貰いました。
この気持ちをなんと言っていいのか分かりません。
ですが、それでもこの気持ちは確かに私の心の中にあるのデす。
 作り物かもしれません。私はロボットですから、私が心だと願うこの気持ちはひょっとしたら心ではなイノカモシれません。
 でも、私はこれが心だと思うのです。
ミキからもらったこの暖かい気持ちが、私の心だと思うのです。

 今、もし、叶うのなら、私は歌を歌いたい。
こんなに素晴らしいものを、私は他に知りません。
最初に歌った『朝ごはん』は失敗でしたが、もし今歌う事が出来たノナら、心を込めて歌う事が出来ると思うのです。
それに、ミキのライブをもう一度見たい。
今の状態ではもう叶う事はナイノカモしれないですが、それでも私はそう願うのです。

 私は、ミキが私の事を友達と言ってくれた事を決して忘れません。
ミキが忘れても、私はずっと覚えています。
私を友達と言ってクレタノハ、私に歌をくれたのは、私に心をくれたのはミキなのです。
私はズッと、その事を覚えています。

 私にイロいろな事を教えてクレて、アリガトう。
 私に心をくれて、あリガトウ。
 私の事を友達と言ってくれて、アリガトウ。

 全部、私ノ宝物デス。

 ダカラ、最後ニ一ツダケ、聞カセテクダサイ。

 ワタシハ、ミキノ、トモダチ、デスカ?

――――――――――




 季節は巡り、もう1年が経ち、765の自社ビルはまるで今までの借り事務所が霞むほどに大きい。
美希も千早も今では日本でその名を知らない者はない程にまで知名度を高め、今日も明日も仕事のスケジュールはびっちりと詰まっている。
それでも美希は時折社長室に入り、相変わらず紙巻きしか吸わない社長に辟易しながら借り事務所から持ってきたスチールの戸棚を覗くのが日課になっている。
スチール製の戸棚には膨大な数の資料やスタッフたちの日積が収録されているが、美希の目当てはその手前の桐製の箱だ。
時間があれば美希はいつも箱を戸棚から取り出し、陽光を浴びて鈍く光る桐製の箱を開けて中身を覗き込んでいる。

 鈍く光る桐製の箱の中には、湯呑が一つだけ入っている。
湯呑の側面には、友禅の丸っこい大きな字で、大切な友達の名前が書かれている。

 側面には、友禅の丸っこい大きな字で、「メカさん」と書かれている。



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