第3話撮影前 ◆一発芸 春先の杉の木

「…何ですかこれ?」

千早が指さしたテーブルの上を見てみると、誰のものか分からない台本と義手とケーブルが置かれていた。
まさか台本を指して「これは何ですか」と聞いたわけではないだろうし、
と言う事は義手とケーブルについて千早は説明を求めているのだろうか。
義手の方は千早の左手を精巧に摸しており、ケーブルの方はマジック用ナイフのようにプラグを押すと中に引っ込むダミーである。

「何ですかって、左手の模型とウソケーブルだろ。今日の撮影用。なんだお前台本読んでないのか?」
「読んでます。読んでますけど、これをどうやって使うかまでは」

そう言って千早は義手を持ち上げた。
精巧な作りの左手は本人が見ても何か不気味なものを感じるのか、千早は気味が悪そうに手首部分を持ってかっくんかっくんと揺らしている。

「おお、よく出来てるな。それ、今回の撮影で一番金かかった道具らしいぞ。二番目は全身タイツな」
「ぜ、全身タイツ?」

通称は全裸スーツである。

「うん。何話か忘れたけど、ほらロボットが故障する時用の。流石に体晒すわけにはいかないだろ?」

全く冗談ではないと両肩を抱いて震える千早にプロデューサーは苦笑を洩らす。

「タイツも特注らしいからな。それ以上痩せたり太ったりするなよ? もしそんな事になったら」
「なりません安心してください」
「そうか」

後悔先に立たずである。
千早はなぜこのドラマをOKしてしまったのかという根本的な問題を今更考えながら精巧な義手を弄んでいる。
と、そこで会議室の扉が開いた。

「諸君、ここにいたのかね」
「社長、お疲れ様です」

社長は妙に上機嫌な顔だ。何かあったのだろうか。

「…嬉しそうですね。何かあったんですか?」
「いやなに、この仕事は報酬も結構いいからね。幾つになってもテレビに出られると言うのは興奮するものだね。…如月君、それは何だね?」

まるで社長に向けて義手で手招きしているような千早に社長の興味が移ったところで、プロデューサーは思考を巡らせる。
そういえば社長は1話から4話までと出通しだ。確かにテレビに映るのは興奮するだろうし、その思考は分からなくもない。
分からなくはないが妙に引っかかる。何だろうこの違和感。
しかし考えたところで答えがわかるはずもなく、プロデューサーは仕方なしにテーブルの上の台本をパラパラと捲る。
新しいとボロっちいの中間くらいの台本にはところどころ赤字でト書きが書いてあり、
誰だか分からないがこの本の持ち主はずいぶんドラマに入れ込んでいるようだ。
と、何故か折り目のついたページが目に入った。
何だこれと開いてみると第2話の最後の方のページで、今までのト書きよりも輪をかけて強調するように赤いラインが引いてあるその文面はこうだった。

;星井、高木にキャメルクラッチ

まさか。
プロデューサーは台本をめくる手をさらに早め、やがて台本の裏表紙にようやく持主の名前を見つけた。
裏表紙には、いやに達筆な字で「たかぎ」と書かれていた。

「―――――このエロ親父」

そう呟いたところで、再び扉が開いて今度はウィッグを被りっぱなしの美希が飛び込んできた。

「ハニー! 打ち合わせ終わったよ…って千早さん! 大丈夫!?」

喜び勇んで会議室に入ってきた美希は一瞬で表情を変えた。
何事かと千早を見遣ると千早はやはり精巧な義手をぷらぷらと弄んでいる。

「ああ、これは義手よ。何も私の手が取れたわけじゃないわ」
「…あ、なんだ。心配しちゃったの」

美希はほっと胸を撫で下ろし、次いで社長の存在に気づいたのか「おはようなの社長」と言った。

「おはよう美希君。打ち合わせは問題なかったかね?」
「うん。でも、ミキはいてもいなくても良かったみたい。あんまり暇だったから面白い事考えちゃったくらいなの」
「へえ。どんな事?」

プロデューサーの問いかけに美希は自信満々に頷き、その場にいる全員に背中が見えるように振り返った。

「一発芸! 春の杉の木!!」

会議室に沈黙が下りた。

「…ごめん美希、意味がよく―――」
「もー、千早さんってばノリ悪いなあ。花粉症の人には効果テキメンなの!」
「…ああなるほど、春というのはそういう意味かね」

そういえば今日の美希は茶色のジーンズを履いている。見ようと思えば樹の幹に見えなくもない。
が、それはちょっと、

「…苦しくないか?」

プロデューサーの呆れた声に美希はほや、と間抜けな声を上げ、

「苦しかったのはタイツの方なの。着てみたらすっごくキツくて」
「タイツ?」
「うん。何かぴっちりしてるやつ。…でもあれ、ミキのサイズじゃないよね?」

美希のサイズも何も美希は今回の撮影でタイツと形容する衣装は着ない。
プロデューサーは千早と顔を見合わせ、確認のためにこう尋ねることにした。

「なあ、そのタイツってひょっとして肌色で無地のやつか?」

その問いに、美希は実に無邪気にこう答えた。

「うん。手とか足は普通に入ったんだけど、何だか胸のあたりが―――」

そこまで言って、美希は完全に地雷を踏んだことを知った。

「…あの、あれってひょっとして、」
「美希。よーく分かったわ。あなたが私の胸についてどう思っているか。分かり過ぎるほどに分かった」
「…千早、さん、の?」

真っ青になった美希と対照的な顔色の千早は、優しげな笑顔を顔に貼り付けてふらりと椅子から立ち上がった。
残念ながら、眼は全く笑っていなかった。

「ごっ、ごめんなさいいいいぃぃぃぃ!!」
「待ちなさい美希っ! 今日という今日は絶対許さない!! 待てーっ!!!」

それぞれ悲鳴と絶叫をドップラー効果で遠ざけながら、美希と千早は凄まじいスピードで会議室から飛び出していった。
こうなると会議室に残されたのはプロデューサーと社長である。
プロデューサーは社長と顔を見合わせ、深い深いため息をついた。

「…まあ、春は長いといいですよね」
「さもありなん、と言うところかね。…ところで君、なぜ私の台本を持っているのかね?」

何故も何も社長が会議室に置き忘れたんじゃないのかとは思うが、そのおかげで面白いものを見つけることが出来た。
ニタリと笑う。

「…社長、2話の撮影、面白かったですか?」
「…何の事かね?」

しらばっくれた社長に向ける顔に、勝手に笑みがこみ上げた。

「いやいいですよ別に。いいですけど、この台本小鳥さんあたりが見たら何て言うでしょうね?」
「…分かった。何が望みかね?」

どうやら社長は己の不運を悟ったようだった。プロデューサーとしては面白い事この上ない。

「そ―ですねー、このドラマ、ギャラが随分いいらしいですからね」

そこで、プロデューサーは改めて晴れやかな笑みを浮かべた。

「基本給の10%アップ…なんてどうですかね?」

春は長ければ長いほどいい。
ついでに暖かければもっといい。
社長の苦渋に満ちた顔を見て、この時プロデューサーは自分の財布が春のように暖かくなればいいと目論んでいた。


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