第7話撮影前〜撮影中−1 ◆オチがばればれな件

「…にしたって、あの監督下っ端扱いキッツいよなあ…グズッ」

ADのボヤキが誰もいない応接室に響く。
第7話はプロデューサーがダンプに轢かれるシーンであり、と言う事は当然夜の野外ロケであり、
残念ながらまだ日の高いうちは7話の準備のために出来ることなどたかが知れている。
たかが知れているがしかし、それは誰かがやらなければならない仕事であり、
実に残念な事に本日はその大切な雑用をADが仰せつかったのだった。
と言っても実際にやらなければならない事はプロデューサーに渡す水性の血糊の準備であり、
従ってADは現在撮影用機材の置き部屋として使われている会議室の中で血糊の入った缶を探している真っ最中である。

「ないな…。あれーどこ行ったんだろ。チーフはここにあるって言ってたんだけどなあ…」

探せど探せど見つからない。あっちこっち見て回ったが血糊の缶は影も形もない。
おまけにADは一昨日から風邪をひいてしまっていて、アイドルにも会えていない。
撮影にかこつけて生アイドルに会えるなんてラッキーだなんて思っていたのはいつだっただろうか。
大体チーフもチーフだし監督も監督だ。「鉛丸出しの缶で中身が赤いやつ」なんて言われたってないものは

「あ」

見つけた。
随分隅の方にあったし周りには掃除道具が掛かっていたが、そこには何缶か「鉛丸出しの缶」が鎮座していた。

「これだよなあ」

蓋を開けてみると真っ赤でどろりとした液体が顔を出した。
ADはようやく見つけた缶を床が汚れないようにと持ってきた新聞紙の上に引っ張り出し、さっそく血糊を袋に詰める作業に取り掛かる。
しばらくの時間をかけて血糊を詰め終わると、ADはそこで床に瓶が転がっているのに気がついた。

「何だこれ」

茶色の小瓶には除光液と書かれたラベルが貼ってある。そういえばここは天下の765プロの会議室だ。
年頃のアイドルがいるんだからマニキュア用だろうか―――そう思ったところで、ADは弾かれたように時計を見た。

「やっべ!」

もう間もなく6話の撮影が終わってしまう。
ADに任されていた雑用は何も血糊の準備だけではないし、あの頭の固い監督にこれ以上どやされるのもご免こうむりたいところだ。
ADはやや乱暴な手つきで瓶を机に乗せると、血糊缶を足でどけて袋の口を縛りにかかる。




「…で、向こうからダンプ来るんで、轢かれてくださいね」

明るい声で轢かれてくださいというのもどうかと思うが、7話はプロデューサーが轢かれるシーンの回想だ。
正直に言って演技とはいえまたダンプに突っ込んでいきたくはないのだが、
社長も言っていた通りこの仕事はギャラも結構馬鹿に出来ない額ではある。
分かりました、と素直に返事をすると、ADはプロデューサーに真っ赤な袋を差し出した。

「…何ですかこれ?」
「血糊です。吹っ飛ばされるシーンはマネキンの合成なんですけど、
後でプロデューサーさんにはこれ被ってガードレールに引っかかってもらいますから」

血糊って。

「はあ。これ、ちゃんと落ちるんですよね?」
「水溶性なんでシャワーとか浴びていただければ大丈夫です。服の方は流石にクリーニングになりますけど」

7話に使うスーツは向こうが準備してきた安物だ。
安物と言ってもプロデューサーがいつも来ているスーツも決して高い方ではないので何となくもったいない気がするが、
しかしそういうドラマなのだから仕方がない。
もっとも、先日の交渉で基本給10%アップが確約された以上今までより贅沢してもいいだろうし、
本職のプロデュース業の方でも局の上役と直接会う事も増えてきた。
これを機会にもっと良いスーツを買った方がいいだろうか―――
半ば真剣に考えだしたプロデューサーは、ADの去った会議室で不思議な瓶を見つけた。
除光液と書いてあった。

「…何だこれ」

茶色い瓶はまだ開封されておらず、光に照らして揺らしてみると中で除光液がたっぷんたっぷんと揺れているのが分かる。
マニキュア用のものだろうか。
うちのアイドルの私物だろうかと思ったところで、会議室のドアが開いた。

「プロデューサー、ここにいたの。そろそろ撮影だって言ってましたよ」
「おお、律子か。お疲れさん」
「もー疲れたわよ。くったくた。千早なだめるの大変だったんだから」

そういうと、律子はプロデューサーの横によいしょと言って腰を下ろした。

「千早をなだめる? なんで?」
「歌ですよ歌。『演技とはいえ何で私が歌をわざわざ下手に歌わなければならないんですかっ!!』って。もーカンカン」

ああなるほど、と思う。
ドラマ中でも描写されるが、千早の歌に対するストイックさは確かに素晴らしいものがある。
が、設定上今の段階ではロボットは歌を歌えない事になっていて、千早にはその辺りの演技をお願いしていたはずだ。
千早が顔を真っ赤にして怒っている様子を想像すると律子には失礼だが割と面白い。

「なるほどな。千早、このドラマって結構厄ネタ続きだな」
「タイトルからしてね。…ってプロデューサー、何持ってるんです?」

興味深げにプロデューサーの手元を覗き込む律子にああ、と生返事を返し、

「除光液だってさ。丁度いいや、これ誰のか知ってるか?」
「知らない…っていうか、うちのアイドル達のじゃないんじゃない? うちはマニキュア禁止じゃない」

別に禁止しているわけではないが、流行に対するイメージ戦略上マニキュアを塗り直す程度ならよくあることだ。
アイドル達にとってみればせっかく気に入ったマニキュアを塗ってきても結局塗り直す羽目になるという事で、
今では出社時にマニキュアを塗ってくるような寸足らずは一人もいない。

「じゃあセット用か。まあいいや、置いておこう」

どれ、と腰を上げたプロデューサーの方を見て、律子は何かを見つけたようだ。

「…プロデューサー、その赤いのなに?」
「ああ、これか。血糊だとさ。ほれ、7話の撮影用」

ああ、と律子は納得し、気味が悪そうにプロデューサーの突き出してきた真っ赤なビニール袋をちょんちょんとつつく。

「おいおい、あんまりいじるなよ。零れたらこの辺血の海だぞ」
「どうせ赤絵の具でしょ。水で洗えば落ちるわよ。…それにしても、」

律子はぶるぶると首を振る。何事かと思ったプロデューサーに律子は苦笑いを浮かべ、

「いやー、事故に遭ってまでアイドル庇わなきゃならないなら、プロデューサーになるのって大変だなって思って」
「そらそうだ。俺だって二度とごめんだよ」

じゃあな、と言ってプロデューサーは真っ赤な袋を指先でつまみながら応接室の方に消えていった。

ドラマでも語られることだが、
どちらかと言えば律子は表に出て脚光を浴びるよりも後ろでコントロールする方が好きな方ではある。
将来的にプロデューサー業をやるのも悪くはないと思っていたが、
スタントマン顔負けの事をやらなければならないなら正直に言えばプロデューサーなどやりたくはない。
と、そんな事を思っていたら今度は事務所側の扉が開いた。

「あ、社長。お疲れ様です…って何ですかそのバケツ」
「おお律子君か。撮影の方は上手く行ったかね?」

質問を質問で返され、律子は返事のように両肩を竦める。
社長はそれを苦笑で受け止め、テーブルの上でバケツをひっくり返した。
どう見ても刷毛だった。

「…土建でもやるんですか?」
「ふむ。若いころはいろいろやったが、歳のせいか最近は腰が痛くてね」

そう言うと、社長は突然きょろきょろとあたりを見回し始めた。

「なに探してるんです?」
「いやなに、事務所の中で撮影をするようになったのはいいんだが、そのせいで何箇所か塗装が剥げてしまったところがあってね。
今日は私の出番はないし、この後は野外ロケの予定だから今のうちに直しておこうと思ったんだが
―――はて、ペンキはどこに行ったかな」

そんな事を言われても。
そもそも会議室にペンキがあること自体律子は知らなかったので、正直に首を横に振った。

「ふむ。うーむ困ったな、まだあったと思ったが―――お、あったあった」

社長はゆっくりと山のような機材をかき分け、やがて鉛色の缶を取り出してきた。

「その色なんですか?」

律子の方からは缶には何も書いていないように見える。
が、社長の方でも何か違和感を感じたらしく、黙って元の場所に缶を戻した。

「いや、業務用だから特に何かが書いてあるわけではないのだがね、まだ蓋が開いていなかったのだよ」
「蓋はもう開いてるんですか?」

律子の問いに社長は黙って頷き、うーんと周りを見回した。
律子もそれにならって周りを見回すと、やがて足もとに鉛丸出しの缶があることに気がつく。

「あ、これじゃない?」
「おお、それだそれだ。ありがとう律子君」

社長は律子に礼を言い、バケツにペンキを移し替えようとしてぴたりとその動きを止めた。

「…どうしたの?」
「…いや、はて…おかしいな、私は赤ペンキはこんなに使っていなかったと思ったが…」

そこで、律子はプロデューサーが出がけに置いて行った除光液を再び見た。
そういえば、あの時つついた血糊の袋は、水性にしてはずいぶん弾力があったような。

「…ねえ社長、もしペンキを頭から被ったら、落すのって大変よね?」
「まあ、決して楽ではないね」
「さっきプロデューサーに会ったんだけど、プロデューサー、今日の収録で血糊を被るのよね」
「7話…だね」
「…、ひょっとして」

そこで律子は言葉を区切り、社長は先ほど置いた見覚えのない方の缶を手に取ってプルタブを起こした。
実に汚い赤色が顔を出した。
試しにと思って律子が缶の中に刷毛を入れると、
刷毛の毛先からは決してペンキではありえない液体が雫になって落ちて行った。

「社長、こういうときってどうすればいいんでしょうね?」

時計を見ればすでに撮影は始まっている時間である。
撮影の内容は端的に言えばプロデューサーがダンプに突っ込まれるだけなので、
正直に言ってしまえば今更慌てたところでどうしようもないと思う。
律子の今更の疑問に社長は顎をさすり、

「…秋月君、人には祈ることしかできないことも確かに存在するのだよ」

そう言って、今頃もだえ苦しんでいるであろうプロデューサーに向かって黙祷を捧げるのだった。



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