第7話撮影中 ◆ パワーダンク

「あー! ここにいたんですかプロデューサーさん! 探しましたよ!」

でかい声に振り向くと、肩で息を切らせたドラマのADがものすごい形相で走ってくるのが見えた。

「あれADさん、お疲れ様です。どうしたんですか?」
「お疲れ様ですって、それはいいんです。あの、ちょっと困ったことが、」
「なんです。また千早がどっか行っちゃいましたか?」
「いや、実は美希さんがですね、」



要は、美希が本格的に寝入ってしまったらしい。

7話前半の撮影は美希の回想シーンから始まる。
要はプロデューサーがダンプに突っ込まれるシーンなのだが、肝心要のダンプのシーンは先週の金曜の夜に撮っていて、
今日の撮影は美希が深夜に跳ね起きて楽譜とにらめっこをするシーンである。
撮影スタジオでは美希の寝室がプレハブ小屋の中に再現されていて、
夜のシーンであるからか極力照明を落とされたスタジオの中は確かに夜の雰囲気ばっちりであり、
プレハブ小屋の扉を開けたプロデューサーは薄暗い明りの中に実に気持ちよさそうな寝息を立てる美希のあられもない寝顔を見た。
頭を抱える。
絶対寝ないで下さいね、というADの念押しに美希は「だいじょぶなの、任せといて」とは答えたらしいが、
何もドラマの撮影中はドラマの仕事しかしない、という取り決めは別にない。
そういえば昨日も一昨日も遅くまでCDのレコーディングやってたっけかな、とプロデューサーは思う。
本格的に夢の国に旅立ってしまった美希はADが呼ぼうが叫ぼうがゆすろうが全く起きてくる気配はなく、
仕方ないとADは近くを通りかかった千早にも頼んでプロデューサーを探し回っていたらしかった。

「…ちっと、仕事入れすぎたかな」

罪悪感を感じないわけではないが、しかし仕事は仕事だ。
美希が完全に寝てしまっているのならリテイクは免れないだろう、と判断したプロデューサーは
溜息をついてベッド脇に近寄り、すぴぃすかぁと聞いていて実にすがすがしい寝息を立てる美希に声を掛けることにした。

「美希ー、起きろー。仕事中だぞー」

声を掛けた程度で起きてくるのならADもわざわざ血相を変えてプロデューサーを探しには来まい。
あくまでソフトに話を解決したかったプロデューサーではあったが、
案の定美希は「おにぎり山…」というよく分からない寝言を漏らして寝返るという素敵な反応を返してきた。

「美希ってば。おーい美希ー、星井さーん?」

ベッドの隅に腰かけて布団の上から肩を揺らして声をかけると、そこでようやく美希はうっすらと目を開けた。

「………はにー?」
「お、起きたか。ったく、昨日遅かったのかお前」
「……はにー」
「はいはいハニーですよ。お前な、本番中に寝るんじゃないよ全く。コーヒーかなんか買ってきてやるから、」
「…はにー」
「…なあ美希、お前起きてるよな?」

気を付ける、という行為が一瞬遅れた。
次の瞬間、プロデューサーは背中から肩にかけて回された美希の腕に思い切りベッドに倒される。
美希は眠っているのがウソのような素早い動きでプロデューサーの頭を両腕でがっちりロック、
うわと情けない声を漏らしたプロデューサーの頭を己の顎下に格納する。
こうなるとプロデューサーの顔は美希の胸に埋められた格好だ。
14歳の少女に押し倒されたというショックと顔にぶつかる柔らかい熱の衝撃にプロデューサーの脳みそは完全にパニックに陥る。

「美希っ! おまっ、ちょっと!」
「…はにーも寝るのー」

まさに貞操の危機である。
プロデューサーはバッタバッタと体をよじらせて美希の拘束から逃れようとするが、
足が地面につかない上に美希の体を押しのけようとするとあれでそれな色々な部分に手が当たってしまうというなけなしの紳士根性から思ったような力が出ない。
翻って美希は実に堂々としている。
美希は腕の中でやめろ放せと喚き散らすプロデューサーに未だ瞑ったままの目をうるさそうに潜め、
あろうことかプロデューサーの頭をより強く胸に押しつけてプロデューサーを黙らせようとする。

「んーっ!! んんーっ!!!」
「…うるさいの」

豊満な胸の圧力でパニックになり、呼吸すらおぼつかなくなった真っ赤な顔のプロデューサーの頭を、美希は覆いかぶさるように圧迫し出す。
こうなると下はベッドで上は美希の胸というとんでもない状況だ。
どうにか美希を押しのけようとするがもがけばもがくほど美希は頭に回した腕に力を込める。
こんなところ社長はともかく小鳥さんに見られたらリアル死刑になるんじゃないかと恐れ慄いたプロデューサーはどうにか美希のボディプレスからの脱出を図り、
そこで、プレハブ小屋の扉が開く死刑執行準備完了の音を聞いた。


額に青筋を浮かべた千早が、握りしめて死刑台の前に立っていた。

「ちっ、千早助けてくれ! こんなとこ小鳥さんに見られたら殺されちまう!」
「ああ、それは大変ですね」

千早は一度だけプレハブ小屋の天井を仰ぎ、次いでプロデューサーに見えるように右のこぶしをギュッと握りしめた。
そして、千早は全くの無表情のまま、いやに響く声でこう言った。

「今、楽にして差し上げます」

扉からベッドまでの距離をわずか一瞬で詰めた千早は勢いそのままにベッドから目測1mの地点から跳躍、
右のグーを高らかに掲げて飛び跳ねる千早の表情をその時プロデューサーは初めて見た。

千早の、額に青筋を浮かべた、それはそれは楽しそうな、鬼神の如き笑顔。



プロデューサーの記憶は、そこで途切れている。



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