声 (10)

 IUの予選会は頭に付く数字が少ないほど選考会が多い仕組みである。
6月に行われる予選会は毎週日曜と第2、第4土曜日に行われるが、年間で5回ある予選会は回を経るごとに1度ずつその回数を減らしていく仕組みであり、第2次予選は6回、第3次は5回の開催となる仕組みだ。
2月に行われる第5次予選は3回開催され、3月に行われる本戦―――「第1期アイドル・アルティメット」への出場を狙うアイドル達は熾烈な弱肉強食の戦いを2ヶ月に一度戦い抜く事になる。
6月第2週の日曜にエントリーをした春香はまさにこれから過酷なサバイバル競争へと足を踏み入れる事になり、そんな春香の震えは会場入りした後も止まることはなかった。
 それぞれのIU予選に参加可能な回数はわずか1回であり、無慈悲にも思える一発勝負は春香だけではなくプロデューサーにもまた緊張をもたらしている。
春香が初めてIU予選に参加すると言う事はプロデューサーもまた初めてIU予選にアイドルを送り出すという事を意味しており、まさか書類のミスで春香の先を潰していたらどうしようと思いながら参加した予選前の打ち合わせで『天海春香』の名前を呼ばれてほっとした。
IU予選参加に向けたプロデューサーの事務作業はこれで終わりである。
 もう一つの大きな柱は、これから山場を迎えようとしている。
「春香、大丈夫? 顔青いよ」
「だっ、だだだだだ大丈夫ですよプロデューサーさん、まだまだぜっ、全然余裕です」
 ウソつけ、とプロデューサーは思う。
春香は哀れなほどに震えて会場を不審者丸出しの様子で見回している。
春香の胸に付いた番号札2番のバッチがなければ恐らく警備を呼ばれてしまうようなその様子にプロデューサーもまた視線を周囲に振って、
「何人か見たことある人たちもいるけど、あの時のビデオにいた人たちはいないみたいだね」
 プロデューサーの一言に春香の肩が面白いくらいに跳ね、しかしすぐに春香の頭はへなへなと机の上に崩れ落ちた。
おそらく―――思う、社長が見せたあのビデオに録画されていた連中は“要マーク”の連中だったに違いない。
 ビデオの中で歌い踊るアイドル達を見たプロデューサーの感想は一言で言えば「売り出す方向が定まっている」だ。
プロデューサーが思うに「売り出し方」と言うのはプロデューサーをはじめとした担当マネージャーの腕の見せどころであり、多くの素養溢れるアイドル達が日の目を見ることもなく埋没していくのは本人の努力の問題でもあるが担当者の売り出し方にも依る。
本心では認めたくない事実ではあるが、商業的な観点からみた場合アイドル達が生き残れるかどうかは単純に「売れるかどうか」にかかる。
どれほど歌がうまかろうと、どれほどダンスが上手だろうと、どれほど魅せ方に秀でていようと埋没していくアイドルがいるという事実はそこに由来する。
IUはまさにプロデューサーが思う業界の暗部を端的に表したものであり、そしてプロデューサーはこの2ヶ月でIUに対する一つの戦術を考えている。

 IU制度の発足により、アイドル達が選択する「生き残り」方法には大きく二通りのやり方ができた、とプロデューサーは思う。
 ひとつは純粋に「消費者のニーズと合致したアイドル像を提供する」というものだ。まずは生き残る事を前提に考えた手法である。
この場合は流行に合致したアイドル像を常に提供し続ける必要があり、そのためには日々のニーズを正確に把握し、それに合わせてアイドルを「作る」必要がある。
 もちろん事はそれほど単純ではない。
大本の流行には「ボーカル」「ダンス」「ヴィジュアル」の三種類があるが、それぞれの要素の中でも微妙なニーズの変化は常に起こっている。
もっとも端的にそれを表現しているのがボーカルであり、一口に「今の流行りはボーカルです」と言ったところでその中身はポップスであったりバラードであったりする。
大本の流行りを分析して今の流行を正確に把握し、次期の流行を推測する必要があるこのやり方は途方もない労力と切り替えの早さを担当者のみならずアイドルにも強要するが、正確な情報把握と解析予測の正確さが伴えば常に安定した人気を獲得することができる。
 そしてもう一つが、「アイドルの個性を売り出す」手法である。
上記の方法が消費者に媚を売るやり方であるのなら、こちらは硬派一徹に己の道を貫くやり方だ。
しかし、このやり方の方がギャンブル性は高いとプロデューサーは考えている。前述のやり方は流行を追いかけ、あるいは次期の流行予測を立てて今後のスケジュールを組んでいくという性格上売り方はその都度変更していくことができる。
柔軟性が高いという意味では前述の売り方の方が市場に受け入れられる可能性は高い。
いわば売り出し方を時流に合わせて変更していく前述に比べ、こちらの方は流行の把握と意識はある程度に留めて芯を振らす事なく市場に「個性」を売り出す事を念頭に置いている。
 従い、アイドルが生き残れるかどうかはそのアイドルの芯に掛かってくる。
すなわち、このやり方でアイドルが生き残れるかどうかは単純に消費者たるファンたちにアイドルの「芯」が受け入れられるかどうかに掛かっており、大本の流行だけを意識したこのやり方を選択した場合はアイドルの「芯」はもとより、その芯を広めるための売り方にも細心の注意が求められる。
このやり方は前述のものに比べアイドルの個性をより強く売り出すことができるためヤマが当たった時の稼ぎは前述に比べ格段に大きいが、消費者がアイドルの個性を認めない場合は陽の目を見る事なく埋没する危険性がある。
ギャンブル性の高さはここに由来する。
 両者の違いは明瞭である。
前者が「消費者たるファンの価値観を己の売り方にする」ことを選択するのに対し、後者は「消費者たるファンに己の価値観を売る」ことをそのベースとする。

 そして、プロデューサーはIUで戦う方法として後者を選択した。

 一つには、IUで敗退したアイドルのファンが減少する可能性が低い、と判断した事による。
一発勝負のIUは「勝者」を選別する過程で必ず「敗者」を生み出す。
勿論「敗退」したアイドルへの風当たりは芸能界で生きていく以上強くなることが予測されるが、「敗退」即引退の構図が明確でない以上ある程度のファンは「敗者」たるアイドルにも固定票として付き続ける可能性が高い。
「敗北」したアイドルにすぐさま三下り半を突き付けるファンもいるにはいるのだろうが、過去に良いと判断したものを早々に覆すファンが市場多数を占めるとはプロデューサーには思えない。
 もう一つが、春香の「歌でみんなを元気にしたい」という志望理由である。
みんなと言う表現が漠然たるものである以上春香が最終的にどこまでの「みんな」に歌を聴かせたいと考えているかがこの表現のネックになるが、春先にAランクを目指すという決意表明をした以上トップランク入りは『天海春香』の目標となる。
単純に『天海春香』の存在を公に知らしめたいのならば戦術として前者を選択した方が効率はよさそうに思えたが、春先に春香は明確に「元気にしたい」と言っている。
 ここで、プロデューサーは『天海春香』の芯を売り出す方向に戦術を固めた。
すなわち、「ファンの要望に合致した『天海春香』」という売り出し方ではなく「『みんなを元気にしたい』と願う『天海春香』」という売り方を選択したのである。
つまり、『天海春香』が売れる為には春香の希望である「みんなを元気にしたい」事が市場たるファンに受け入れられる必要があり、このあたりがプロデューサーとしては掛け事の範疇になる。
 ではなぜアイドルの方向性を決めるべきプロデューサーがその方法を選択したのか―――
「不安?」
「…そりゃ、不安ですよ。ここにいる人達ってみんなあの時のビデオみたいな水準って事ですよね?」
「勿論みんながみんなそうじゃないとは思うけどね。あの水準の連中もいるにはいるとは思う。その辺りは勝負にならなきゃ分かんない事だけど、ここまで来たら仕方ないじゃない」
「?」
「春香は春香の思うとおりにやればいいって事。今更あがいたって仕方ないじゃん、今までやってきた事を出すしかないよ」
「…そう、ですよね」
 のったりとした動作で頭を上げた春香にへらりと笑い、プロデューサーは配布された今日の参加者の名簿をちらりと眺める。

 第二の理由を挙げた根拠は、ひとえにプロデューサーの直観である。
去年の秋、まだ春香が『天海春香』ではないただの少女だった頃、プロデューサーは春香から「元気」を貰い、いつか春香の歌が聴きたいと本心から思った。
これだけ見れば単なるプロデューサーの直感で終わるが、2ヶ月の間に765に届いたファンレターを見る限りプロデューサーにはこれが独りよがりの根拠とは思えない。
春香の「芯」を信じると言うだけなら根拠も何もないプロデューサーの直感だが、春香を応援してくれるファンたちにとって春香の「芯」は恐らく『天海春香』を応援するに足る理由なのだと思う。

 極めて打算的な見方をすれば、二通りあるアイドルの売り出し方としての前者は効率性を得る代わりにアイドルの「個」を潰す。
流行を追いかける事自体は決して馬鹿に出来たものではないが、つまりそれは流行を手堅く己の中に内包したアイドルを「量産」する事に他ならない。
 それに比して後者は効率性を失うものの「個」を生かすことができる。
とりわけIUと言う選別の制度が始まった今、「量産」されたアイドル達はその名の通り量産であり、数が溢れれば価値が下がるのは市場の常である。
そこへ行くと「個」はオリジナルだ。「誰にも真似できない」や「他にない」はそれだけで市場価値を高める。
あまり根拠にしたくない考えではあるが、「個」を重視したやり方でヤマを当てることが出来れば稼ぎが大きいという考え方の根拠はここにも求められる。
 そして、社長が見せたビデオの中に収まっていたアイドル達はものの見事に後者を選択していた。
これこそが古き良きアイドルである、と言わんばかりのその連中は恐ろしい程に己の「個」を―――つまり「売り方」を前面に打ち出しており、担当するマネージャーの膂力たるや恐ろしいものがあるとプロデューサーは思う。
同時に、同じやり方を選択したプロデューサーにとってそれはライバルアイドルのプロモーターとの勝負に「勝利」しなければならない事を意味している。
Aランクに上がると言う事は、IUに勝ち残ると言う事はそういう事なのだ。
 しかし、ここでひとつ疑問が生じる。
『四条貴音』の存在である。

「私は私らしく、ですね。今までの練習を信じてみます」
「うん。信じられるくらいは練習したと思うよ。大丈夫だって、その辺りは僕が保証する」
「…はい。えへへ、やってみます。―――それに、」
 春香はそこで決意溢れた瞳に笑みを混ぜ、プロデューサーに向かってこう言った。
「こんなところで転んでたら、Aランクなんて夢のまた夢、ですもんね」
「そうだね。ここが春香の夢の入り口なんだ。弱気なんて春香らしくないよ、いつもの春香なら合格間違いなしだって。…ああでも、いつも通りを意識し過ぎていつも通りに転ばないでくれよ?」
「あはは、緊張すると足がもつれて―――ってプロデューサーさんっ! 私そんなに転んでませんっ!」
 ぷうっとリスよろしく膨らんだ春香に冗談だよと苦笑して、プロデューサーは頭の裏側だけでIU選考説明会の時の、あのいけ好かない男の言葉を思い出してみる。

―――彼女たちは『商品』だ。市場で供給されて消費されゆく人形だ。

 と言う事はつまり、961プロデュース株式会社はその営業方針を前者に定めて行っているはずである。
そして『四条貴音』は紛う事無く961プロデュースに所属している。
あの時プロデューサーが黒井社長に反発したのは前者以外の売り方などあり得ないとでも言いたそうな黒井社長の口ぶりに反感を持ったためだったが、それにしては『四条貴音』はその「個」を売り出すような歌い方をしている。
画面越しにも感じたカリスマ性がそれだ。961のプロデューサーがどんなツラで『四条貴音』の営業をしているかは知らないが、あの歌い方から察するに明らかに『四条貴音』のプロデューサーは後者を選択している。
素材の持ち味を生かした営業方針を選択したまでだと言われればそれだけのような気もするが、プロデューサーはその辺りに奇妙なほどの違和感を感じている。
 IU選考説明会の場であれほど明確に己の営業方針を打ち出した黒井社長が、あれほど後者を選択する765を罵倒した黒井社長が、そんなに簡単に掌をひっくり返すような真似をするだろうか。

「…そろそろ時間だね。春香、心の準備はいいかい?」
「はい」
「ダンスはメリハリよくね。大きな動きは特に。足運びとか手先にも気をつけて」
「はい」
「表情は明るくね。声だけじゃなくて魅せ方にも気をつける」
「はい」
「アピールのポイントに迷ったら僕の方を見て。サインするから。サイン覚えてるよね?」
「はい。―――あの、プロデューサーさん」
 そこで、春香はげんなりとした表情を見せた。
「ヴィジュアルのサイン、やっぱりあれで行くんですか?」
 勿論大きな声で伝えることができないオーディション中のアイドルへの指示は、パントマイムのような表現を使う事が通例となっている。
プロデューサーと春香の間で取り交わしたサインの種類は以下のとおりである―――両手で作った丸が「ボーカル」、両手を手首でクロスさせたサインは「ダンス」、そして西條秀樹を思わせる両手のYが「ヴィジュアル」のアピールサインだ。
「? だって目立った方がいいじゃん。分かりやすいでしょ?」
「いや確かに分かりやすいんです。分かりやすいんですけどその―――」
 そこで、春香はプロデューサーの顔に浮かんだ100%疑問の表情を見て、諦めたような表情を浮かべた。
「―――いや、やっぱりいいです。あれでお願いします」
「?」
 すっごく目立って恥ずかしいんです、という真っ当な印象を封殺した春香はそこでパイプ椅子から腰を上げ、プロデューサーとともに予選会場の舞台袖へと移動する。


    
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