声 (13)

『―――それが、お前がプロデューサーになった理由か』
『第1志望はプロデューサーでしたけどね。まあでも、こういう理由なら一般事務でもよかったのかなとは思います。一般事務も一般営業も“夢”を持ってるアイドル支えるって意味ではプロデューサーと一緒ですから』
 自嘲気味に言った言葉に大江は一度だけ溜息をつき、何事かを考えるような眼をした後に、次だ、という不穏な単語を口にした。
『お前、どんなプロデューサーになりたいの』
『いやだから僕まだプロデューサーじゃないんですってば。どんなって言われたって分かんないです』
 全く何を言い出すのかと思えば。
こちとら今月の初めにプロデューサー課に回されたポッと出である。
どんなも何もどんな種類のプロデューサーがどのように活動しているかすら分からない。
とにもかくにも手本となるべき大江は飲み会の開始早々に“タコ口の刑”なる無茶振りを発揮する業の深い男だし、なりたいと思っていたプロデューサー業が、ではどんな真似をして飯の種を得ている連中なのか、と言った知識さえも未だに不足気味だ。
 そして大江は、溜息をつくかの様な口調でこう言った。
『いいんだよ何でも。絶対アイドルをAランクに連れていけるプロデューサーになるとかさ、その人ありって言われるようなプロデューサーになるとかでもさ。何かあるだろ、お前が考えるお前の目標みたいなプロデューサー像ってのが』
 大江の瞳は、比喩も揶揄もない真剣な瞳で「お前にはそれすらないのか」と言っているように見えた。
脳みそにアルコールが行き渡る。酩酊の恐ろしさは大学時代に身をもって知り尽くしていたと思っていたのに、いざ再び肝臓が音を上げれば自分は再びあの悪夢のような個室ひきこもりを繰り返そうとしている。

―――夢など、
―――目標など、

『…アイドルを、ちゃんと支えられるプロデューサーになりたいです』
 例えばそれなりに業績あるプロデューサーならば、今の大江の問いには恐らく何かもっと具体的な表現で回答を返すのだろう。
「10か月でAランクに到達できるような営業力あるプロデューサー」とか「プロモーションの打ち合わせを有利に行う事の出来るプロデューサー」とか、あるいは絵空事の類で語られる「アイドルマスター」になるとかでもいいのかもしれない。
新米だってアルコールの魔力がなければそれなりの返事を返せたのかもしれない。
 が、新米の口から出た答えは単純にして明快な理想論であった。ゴールもなく達成成否の指標もない、これでは単なる心構えだと思う。
 そして、大江は新米の答えに意外なほど真面目な顔をした。
『茨の道だぞそれ。歩き切れるか?』
 、
『分かんないです。分かんないですけど、でも僕はそうなりたいと思ってます』
 へえ、と大江は呟きのような返事を返し、コップの中身を少しだけ胃に落とし、
『ま、やるだけやってみろ。お前が決めたんだから、やるかやらないか決めるのもお前だ』
『大江さんって、』
 何よ、と言う返事に新米はそれ以上の言葉を繋げる努力を放棄した。
言っちゃあ何だが大江は実に意地が悪い。こちらのこっ恥ずかしい夢を語らせておいて応援も何もない。
なんだか言い損になった気がして何でもないですと呟くと、大江はそんな新米の様子にへらりと笑い、
『意識してるかしてないかでえらい違いになるんだよ。もうちっと自信持て、社長の眼鏡にゃ適ったんだよお前』
『ですかね』
『そうさ』
 そう言うと、大江は突然コップの中身を猛烈な勢いで飲み始めた。
時計を見れば飲み会が始まってからそろそろ1時間が経とうとしているし、大江と新米を除くプロデュース課のボンクラたちは先ほどのビール男に触発されたのか徐々にその眼から正気が失われている。
大江の突然のビール消費量増加はそれらのボンクラどもに置いて行かれまいとしているようにも見える。
『ま、お前の希望は分かった。お前の志すプロデューサー道はきついだろうが、まあ最初の1年はケツ持ってやるよ』
 え。
 大江の顔には比喩でも何でもない、純粋に応援の形をした笑顔がある。
『それにまあ、俺もお前の事笑えないしな』
『…何ですか大江さんの夢って。ハーレムでも作るんですか?』
 思わず出た言葉に大江は一瞬だけ虚を突かれたような顔をし、ついで新米には聞こえるが他のプロデューサー連中には聞こえないという微妙な大きさで笑い出した。
『俺は純情派だよ。硬派一徹ってやつだ』
 どの口でそれを言うのか。
何だが馬鹿馬鹿しくなって溜息をつくと、大江はいかにもこれ見よがしに煙草に火をつけた。
その顔にはまるで途方もない夢を追いかける少年のような面影があり、新米はふと言い損を感じた先ほどの己の思考を思う。
『フェアじゃねえしな、俺の目標も教えておいてやろう』
『いやいいです。別に聞きたくな―――はいすいません。聞きます聞きます聞きますから瓶おきましょうよ大江さん』
 よろしい、と大江は危険な角度で持ち上げていたからの瓶をテーブルに置き、神妙な口調でおもむろにこう切り出した。
『お前、“アイドルマスター”って知ってるか』
 何を言い出すのやら。

「アイドルマスター」と言うのは数あるプロデューサーのランクの中でも最上級のものだ。
売れる売れないが生死に直結する芸能業界はそこらの外資も真っ青なほどの成果主義を導入しているが、ファン数で評価されるのがアイドルならアイドルと二人三脚をするプロデューサーにもまたそれらの評価が総会から下される。
これは毎年新参が絶えないこの業界において一定の企業評価に考慮されている項目であり、例えば複数の上位評価者を擁する企業でなければ特定のオーディションへの出場権が得られなかったりするし、他のオーディションでもアイドルのランクとプロデューサーのランクの双方を勘定して参加の是非を決めるところだってある。
プロデューサーランクは1年でリセットされるアイドルのファン数とは異なり、それまでプロデューサー個人が育て上げたアイドルの人数やその経歴が総合的に評価されて年度末に総会から発表される仕組みだ。
アイドルランクがFからSまである様にプロデューサーランクにもいくつかの階層があり、たとえば大江なら「敏腕」という冠が付くし新米は現在のところランク付けの最下位である「見習い」となる。
「アイドルマスター」とはその名前の通りアイドル育成において多大な貢献をしたプロデューサーに与えられる名誉称号であり、もうずいぶん前から命脈を保っているプロデューサーランク制度の長い歴史においても「アイドルマスター」に数えられたのは片手の指で余る数である。
どれほど優秀なプロデューサーであっても「アイドルマスター」の直下である「超売れっ子」止まりになることが大半で、冠の称号は多くのプロデューサーが目標に定めてあえなく散っていく伝説のような代物というのが巷のプロデューサーの評価である。
 つまり、

『おい何だその顔、俺なんか面白い事言ったか?』
『大江さん、子供のころムー大陸とか信じてました?』
 つまり、大江はそんな伝説級のシロモノに手を出そうとしているのだ。
真面目に取れるほど脳みそはまだ蕩けていないし、新米にしてみればそちらの方がよほど茨の道に思える。
『非科学的なものは信じねえけどさ、“アイドルマスター”には前例がある。出来ねえ事じゃねえはずだ』
『はいはいまーそーですねー制度としちゃ存在するんですから』
 結局言い損だと思った感情をぬぐう事は出来なかった。
まったく夢物語にもほどがある。確かに大江は敏腕だし後ろで見ていてもその凄さは毎日感じられるが、では大江がこのまま「アイドルマスター」になれるかと言えばそこは微妙だ。
夢物語で煙に巻かれた様な気がして通しに手をつけると、大江はそこでムキになったように、
『お前な、人の話は真面目に聞くもんよ?』
『真面目に聞ける話ならいくらでも聞きますよ。でも、いくら何でもそりゃ嘘でしょ』
 そこで、大江はまるで怒った子供のような顔をして、
『何だよ、別にいいじゃねえか俺が夢見てたって。誰だってあるだろ、こうなりたいとかこういう事がしたいとか。夢って言葉がだめなら目標って言い変えたっていい。なんで目標持つことが嘘になるんだよ』
 そこで、新米は大江の顔を見た。
『お前だってそうじゃねえか。アイドル支えられるプロデューサーになりたいんだろ? 頑張ってる連中を応援したいんだろ? それが夢でなくて何なんだ。目標じゃなくて何なんだよ』
 不覚にも新米はこの時、ああなるほど、と思った。
 なるほど新米が人間なら大江も人間である。新米に酒の力がなければ話すことなど到底できない夢がある様に、大江にもまた酒がなければ話すことなど到底できない、しかし腹の中に確かに存在する夢があるのだろう。
だからこそ「そんなもん」を茨の道などという険しい表現をしながらも一笑に付さなかったのだろう。
 自分も歩いている道だから。
 棘に塗れ、重石をつけられ、それでもなお諦められない夢だから。
『―――すみません』
『何でお前が謝るの』
『だって、僕も一緒だし』
 そこで大江は一言別にいいとだけ言い、黙してビールを口に運んだ。
新米もまたそれ以上口を開く事はなく、黙ってビール男の行く末に思いを馳せる。
 例えば、の話だ。
たとえばここにいるのが大江ではなく、将来担当するアイドル候補生だったとしたら。
夢を持ち、希望にあふれたアイドル候補生がいつかそんな事を言ってきたとしたら、その時自分はどう答えるのだろうか。
 何を言っているんだ、とでも言うつもりか。夢を見るのはやめろ、とでも言うのか。
 飲み会の最初の思考が蘇る。
本当に自分は高木社長の眼鏡に叶ってここにいるのだろうか。
人の夢を一笑に伏してしまうような自分が、人の夢を嘘と言ってしまうような自分が、本当にこの部署でやっていけるのか。
夢を持ち、目標を叶えるために、希望を持ってやってくるアイドルをあの輝かしいステージに立たせることができるのか。
 その時、大江が口を開いた。
『でもま、俺の夢が夢で終わってもさ、お前の指導くらいはできるからな』
 その時見た大江の顔を、新米はおそらく忘れる事はないだろうと思った。
 大江の顔には笑顔がある。
 酒のせいで赤くなった顔に、まるで晴れやかな空の下にいるような、途方もなく澄んだ笑顔がある。
『お前がお前の夢を遂げられるようにさ、俺もちゃんと指導してやるよ』
―――さっきまで、ちゃんとやれるかどうかの心配をしていたはずなのに。
『じゃあ、大江さんの夢が夢で終わったら、僕が仇取ります』
 は? という顔をした大江に、新米は一度だけビールを煽ってまっすぐな視線を向けた。
『大江さんが叶えられなかったら、大江さんの指導を受けた僕が、大江さんの仇取ります』
 新米の瞳には意志がある。それを見た大江は、笑みの質を変えた。まるで猛禽のような笑顔。
『そりゃいいや。じゃあ、俺がだめだったらお前が仇打ちしてくれ』
『任しといてください。這ってでも付いていきますよ。だから、』
 そこで、新米は大江に向かい、深々と頭を下げた。
『ご指導よろしくお願いします、大江先輩』



 その時のビールの味を、1年以上たった今もプロデューサーは覚えている。
 己の夢を語った時のビールの味を、己の腹の内をさらけ出した時のあの苦味を、プロデューサーは今でも鮮明に思い出すことができる。
 その時の大江の言葉も大江の表情も、プロデューサーは未だに忘れていない。

 大江さん、今、何してるんですか。

 765プロデュース株式会社の9階にある営業部プロデュース課の自分の机の前でそう呟く新米の表情には、万に一つもないはずの可能性を摘みきれない複雑な色がある。




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