声 (23)

 ステージの終わった春香と合流し、深呼吸をさせている間にマスコミに取り囲まれて質問攻めにあい、きわどい質問に笑顔満開で答えながら30分の包囲戦を突破してたどり着いた先はアイドル控室という名前の雑魚部屋だった。
が、雑魚部屋という割には部屋の中にはほとんど人の姿はない。
どうやら春香の前にステージを終えたアイドル達はそろって傍聴席に行っているらしく、くたびれ果てた春香を出迎えたのはそろそろ老年の域にさしかかりそうな係員と一人しか観客のいない控室のロールモニターにひたすらステージの様子を映し出すスクリーン投射機である。
 広すぎる個室の様相を呈した控室の机には要所要所にL字の卓上名刺が鎮座しており、前から4番目にある「『天海春香』様」と書かれた机に座った春香は座った勢いそのままに机に突っ伏してぴくりとも動かない。
理由は分からないでもない、プロデューサーの目からしても先ほどのステージは見事の一言に尽きるほど燃焼しきった春香にしてみれば、春香のトレードマークである元気もステージの上に置いてきてしまったのだろう。
「…マスコミもしつこいよなぁ。春香、大丈夫?」
「あ、あはは、あんまり大丈夫じゃないかもです」
 プロデューサーの手ごたえの話だが、春香はおそらくIU3次予選も抜けられたのではないかと思う。
おそらくは『四条貴音』と『天海春香』の通過で本日の3次予選は幕となるのだろうが、鮮度のいいネタが命のマスコミもまたそのあたりは何となく察しているらしい。
Cランクはそろそろ全国に名前が知られる段階であり、Cランクへの昇格間違いなしの『天海春香』のガードがCに比べてまだ緩いDランクの内に根掘り葉掘り聞いてしまおうというマスコミの魂胆は透けて見えるようだった。
この分だと『四条貴音』にもハイエナは群がったのだろうが、しかし『四条貴音』の横には大江がいるはずだし、大江ならば致命的な質問をせせら笑いながら回避することくらい造作もないだろうなとプロデューサーはぼんやり思う。
「まあ、あの人たちはあれが仕事なんだし。今のうちにしっかり休んでおいて、この分じゃ多分結果発表の後にはとんでもない事になりそうだ」
 軽口気味にそう言ったプロデューサーに、春香は机にへばりつかせたままの頬をずらして左目だけを向け、
「プロデューサーさん、今日の私の歌、どうでした?」
 うすぼんやりとした問いかけに、春香は自信がないのかと思う。
「…どうって」
 プロデューサーはきょろきょろとあたりを見回し、他社の関係者が控室にいない事を確認して、
「3次予選は抜けられた出来だと思うよ。何か不安でも?」
「…私の気持ちは、歌に乗ってました?」
「少なくとも聞いてた分には。ハッピーエンドになりそうかい?」
 言葉に春香は一度だけ視線を床に落とし、やがてゆっくりと頭を上げてプロデューサーににこりと笑う。
どうやら回答を間違えてはいなかったらしい、プロデューサーは胸の内で安堵の息をついて春香に準備していたドリンクを渡す。
春香は渡されたドリンクを飲み口を一舐めしてテーブルに置き、
「エンドは、遠いですけどね」
「まあ、予選もあと2回あるからね。次は12月の4次予選でBランク、その次が2月、それを抜けてようやくAランクだ。本戦は3月だし、まだ折り返しだけどマイペースでいこう。この調子なら大丈夫だよ」
 努めて明るくそう言うと、春香は一度だけ視線をそらして「そうですね」とだけ言う。
 あれ、ひょっとして答えを間違えたのだろうか。
「…何か不安でもあるのかい?」
「あぁいえ、何でもないです。ただ今までが結構うまく行き過ぎてる気がして。この先もうまくいってくれるかなぁって」
「大丈夫だよ。春香ならやれる。春香が春香でいる限りきっと大丈夫」
 言葉に春香はいぶかしげな視線をプロデューサーに投げ、
「私が私でいる限り、ですか?」
「うん。大丈夫だって、春香が今まで頑張ってきたのは僕がずっと見てるし、社長も春香の頑張りは認めてる。社側のバックアップだって貰えるんだし、不安に思うことなんかないよ」
 少なくとも『天海春香』の活動には何の不安要素もないはずだ。
765のバックアップは業界フロンティアとして立派の一言に尽きるし、それがために過去何人ものAランクを輩出してきたのが765である。
 しかし、そこまで言ってもまだ春香の表情からは曇りがとれない。
プロデューサーはそんな春香に向けてふざけた程明るい笑顔を作り、
「『四条貴音』にだって勝てるさ。大丈夫さ、自信持っていいよ」
 『四条貴音』という単語に春香はぴくりと反応して、その後少しだけ陰のある笑みを浮かべた。
「…プロデューサーさんがそう言ってくれるなら、私信じちゃいますよ?」
「信じてくれていいよ。大丈夫さ、僕だって鍛えられたし春香だって頑張ってるんだ、どんな奴が来たって絶対負けないよ」
 その時、来るものなど一人もいなかった控室の扉が、ぎぃ、という軋んだ音を立てて開いた。
かつ、かつ、というヒールのような音が聞こえ、プロデューサーと春香は顔を見合せて気持ち悪い程シンクロした動きで背後を振り返った。
 噂をすればなんとやら、だった。
「…四条さん」
 あらわれた四条貴音は、まるで昼前のステージで審査員の度肝を抜いたことが遙か彼方の出来事のような顔をしていた。
昼前のステージなどいつもの事だ、といわんばかりのその涼しげな顔には自信すらも浮かんでいない。
 要はあれがいつもの『四条貴音』なのだろう。
貴音はよどみのない足取りで春香の前に歩み寄り、しかし前に初めて対面した時の凍てついた笑顔とは多少色の違う表情を浮かべた。
 まるで、聞きたいことがあると言わんばかりの顔だった。
「ごきげんよう、天海春香。プロデューサー殿もご機嫌麗しく」
 流麗に頭を下げる貴音にプロデューサーは薄ら寒いものを覚える。
あの時は雰囲気にのまれてしまってそれどころではなかったが、2度目の対面となる今回は多少なりとも冷静に『四条貴音』を観察することができる。
 しかし、雰囲気から滲み出る類稀なカリスマ性はまるで衰えを感じさせなかったし、ステージを終えてまだ3時間も経っていないというのに興奮のこの字も見られない貴音の雰囲気は社名を棚に上げても流石だと思う。
「四条さんも。元気そうですね」
 しかし、春香は『四条貴音』のそんな雰囲気をまるで気にしていないかのような眼をしている。
よく見てみればその眼には「何をしに来たのか」というはっきりした疑問が見えており、貴音もまた春香のその目に前段はいらないかとばかりに溜息をついた。
「…本日は貴女にお尋ねしたいことが。お時間をお借りしても?」
 問いかけに春香は一度だけ瞼を閉じ、プロデューサーの顔を見た。
「…本番が終わった後のアイドルは疲れてる。春香だってそうだ。あんまり長い時間はとれないよ?」
 三角に生き来した視線の応酬に貴音は緩やかに首を振る。
「長い時間は必要ありません。お伺いしたいことは1点だけです」
「それに、僕は同席してもいいの?」
 言葉尻に若干の刺を乗せてそう尋ねると、貴音はそこでふと思い出したような顔をして、
「…そういえば、プロデューサー殿にもお伝えする事が」
 その瞳に、一瞬だけ剣呑な光を湛えた。
「大江様が、プロデューサー殿を屋上でお待ちです」

 動きかけた膝を、意志の力で封じ込めた。

 この場を動くのはまずい、とプロデューサーは思う。
今春香の目の前にいるのは961のアイドルだ。
一体どのような攻撃的な事を言われるか分からないし、ただでさえ今の春香は持ち直してきたとはいえ元気がない。
言葉とは力であり、ひ弱な少女に百万力を与えもすれば巨人の心臓を抉りもする。
「…君の話が終ったあとじゃ、ダメなのか」
 そんなプロデューサーの様子を見た貴音は一瞬だけその瞳に感心したような色を湛え、
「申し訳ありませんが、私も大江様も多忙の身。それに、私の問いもプロデューサー殿のご心配には及ばないものと存じます」
「…確証が欲しいね。僕の仕事は春香をトップに連れていくことだ。君が春香に何かをしない保証はない」
「プロデューサーさん」
 そこで、今まで会話に混ざっていなかった春香が口を開いた。
呼ばれたプロデューサーは春香の顔を見て、そこに、まっすぐにこちらを見つめる春香の顔を見た。
 春香が、口を開いた。
「私なら大丈夫です。四条さんが何を言ったって、私はプロデューサーさんを信じてます」
 ひたすらにまっすぐな視線だった。
「だから、プロデューサーさんは大江さんのところに行ってください。私なら大丈夫です。『みんなを元気にしたい』天海春香は、何言われたってへっちゃらですよ」
「…でも春香、僕は、」
 なおも言いすがるプロデューサーに、春香は、
「大丈夫ですよ。私は私のままでいます。――――私を、」
 その表情を、笑顔に変えた。

「私を、信じてください」

 言葉に、プロデューサーは一度だけ天を仰ぎ、次いで春香の顔を見て、無表情な貴音に視線を振り、もう一度春香の顔を見て、最後に控室の扉を見つめた。
「…大江さんは、屋上に?」
「はい。そこで、プロデューサー殿を待っています」
 深い深い、溜息をついた。
「春香、」
「はい」
「ありがとう」
「はい」
 春香にたった一言の礼を言い、プロデューサーは駆け出す。
控室の長机の列を走り抜き、見てくれだけはそこそこに立派な控室の扉を潜って左折して、一番近くにあるエスカレーターを蹴り上げんばかりに上り、建物の最も東側にある非常階段を登り切り、
 目指すは、大江が待つという屋上だ。



 プロデューサーがドアを蹴破らんばかりに出て行った控室に残った春香は、プロデューサーが扉をくぐってからきっちり10秒後に突然貴音に頭を下げた。
「…ごめんなさい」
 驚いたのは貴音である。さっきまでまっすぐにプロデューサーを見ていた春香が突然萎れて頭を下げたのだ。
腹の奥底で起きた驚きをしかし顔には出さず、貴音は深呼吸代わりと悟られないように静かに深く息を吸い込み、
「何がです?」
「四条さんが私に何かを言いに来たんじゃないってことは分かってます。でも、多分あの人はああでも言わないと絶対に屋上には行かないから」
 ひどい事言ってごめんなさい、と春香は再び頭を下げる。
なるほど「『四条貴音』に何を言われようが私は私」というのは、取り方によっては相手に失礼ともとれる言い方だ。
が、貴音にしてみれば言い方が直接的でない分礼を欠いた物言いだとは思わないし、むしろ、
「いえ、あの場でのプロデューサー殿の対応は極めて当然のものでしょう。私と貴女は敵同士、敵の前に民をただ置き去る真似をしたならば確かに侮蔑に値しますが、」
 そこで、貴音は春香に向けて、冷徹な印象を毛ほども感じさせない暖かな笑みを向けた。
「あの場でのプロデューサー殿の対応は見事でしたし、貴女がプロデューサー殿に向けた言葉もまた見事でした。前に申し上げた言葉の非礼は、お詫びしなければなりませんね」

―――あいつはそれなりに出来る男だぞ、たまに抜けてたりするけどな。

 なるほど、初めて会った時には石ころに泥をぶちまける存在のように思えたあのプロデューサーもまた大江の後輩なのだと思う。
プロデューサーのとった非礼とも言える言動は『天海春香』を重んじるが故だと思えば微笑ましいものだし、だとするなら確かにプロデューサーも『プロデューサー』として順当にその職を全うしているのだと思えもする。
そこまで見越した上で『天海春香』が非礼な物言いをしたのなら貴音としては何を思うこともなし、ただ単純に石ころがそれなりに光っていたというだけの話である。
「そう言ってもらえるとうれしいです。あの人は私のプロデューサーですから」
 春香はそこで貴音に向けて少しだけ寂しげな笑顔を浮かべ、すぐにその表情を真顔に戻した。
「…四条さんの質問に答えますから、その前に一つだけ、私からも質問していいですか?」
「私で答えられる範囲なら。敬すべき敵の問いには答える、これも王の務めです」
 貴音の言葉に春香は「そんな立派なもんじゃない」とばかりに気恥ずかしげな顔で頬を掻き、しかしすぐに真面目な表情を浮かべてこう言った。

「…四条さんのプロデューサーは、もとは765のプロデューサー、なんですか」

 これには流石の貴音も瞠目した。
どうやら『天海春香』のプロデューサーはそのあたりを『天海春香』本人には言っていないらしい。
が、語尾を下げた春香の問いは純粋な質問というよりは予想した回答を確認するような色があったし、貴音にもまた己のプロデューサーの素性を隠す必要はどこにもない。
「先日、大江様が765の社員証を持っていらっしゃるのを見ました」
 そうですか、と静かに呟いた春香の顔には落胆の色は見られなかったし、恐らく『天海春香』が直接大江に関わった事はないのだろうという考えはおそらく間違ってはいまい。
それが証拠におそらく多分に大江に関わっていたであろうプロデューサーはそれこそ控室の扉を蹴破らんばかりに表に出ていったし、もし仮に『天海春香』が何らかの形で大江に関わっているのなら多少の落胆くらいは顔に出ると思う。
 しかし、貴音にしてみれば大江が765に残した遺産などには何の興味もない。
貴音が興味を引かれたのはただ一つ、
「それでは、私の質問をしてもよろしいでしょうか?」
 春香は一度だけ頷き、まっすぐに春香を見つめる貴音の視線に答えた。
「…なぜ、あのような歌い方をしたのです」
 『天海春香』が歌う理由は、「みんなを元気にしたい」という非常に安直なものだったはずだ。
ご高説は実に見事であり、しかし「みんな」などといもしない連中を元気にできるものならやってみるがいいと貴音は今でもそう思う。
 が、『9:02』は「みんなを元気にしたい」という野望そのものにまるで白旗を上げたような色が混じっていた。
ひたすらに「みんなを元気にしたい」などと天晴れな打ち込みをしてくる奴ならまさかそんな色など混ぜはしないだろうし、何よりもそんな単細胞ならあそこまで高いレベルで相反する感情を融合させることなど到底不可能だろうと思う。
 春香は貴音の表情を5秒だけ眺め、その瞳に宿る視線に誤魔化し切れないかとばかりに影のある笑いを洩らした。
「…やっぱり、四条さんにはバレちゃうかぁ」
「貴女の歌にわずかに見えた感情を言葉にすることは私には難しい。ですが、あの歌に見えた貴女の感情は、貴女の…夢、とは乖離した物のように思えます」
 そこまで言い切り、貴音は春香の顔を見た。

 春香の顔には、途方もない程の無力感が映っていた。

「…私の夢は、私の歌を聞いてくれる『みんな』を元気にすることです」
「存じております。認めるかどうかは別としてですが―――だからこそ私には、貴女の歌は理解できない」
 やれるものならやってみろ、と貴音は思うのだ。
「みんな」などという存在などこの世に居はしないのだ。
だからこそ1次予選で癪に触ったというのに、だからこそそんな甘ったれなどこの手で叩き潰したいと思うのに、春香の歌にわずかに混じっていた感情はまるで夢を諦めたかのような色があった。
 そして春香は、実に遠まわしな物言いをした。
「四条さんの歌って、誰が一番聞いてます?」
 貴音はその問いに一度目を閉じ、
「…仰る意味が分かりかねます。それが、貴女の歌に繋がるのですか?」
「『みんなを元気にしたい天海春香』の歌を一番聞いているのは、プロデューサーさんのはずなんです」
 そして貴音は、そこでようやく春香の言いたい事を理解した。
 傍聴席に詰めていた時、『天海春香』のプロデューサーはステージで歌う春香に指示を送りながらもこちらをじっと見つめていた。
その視線の先にいたのはまさか自分ではなかろうから、必然的に765のプロデューサーが見ていたのは大江という事になるのだろう。
そしてほんの少し前、貴音は己の言葉に一瞬とはいえ我を忘れて駆け出しそうになったプロデューサーを見ている。
765のプロデューサーの心情などこちらの預かり知らないところではあるが、扉を蹴破らんばかりの勢いで控室を出て行った765のプロデューサーが大江に関して何か思うところがあるのは間違いない。
 まして『四条貴音』と『天海春香』が同じ日に予選を受験しているのは何も今日が初めてではないのだ、前回の予選会の時に765のプロデューサーが大江が961でプロデューサーをしていることに気付かなかったはずがない。
「『みんなを元気にしたい天海春香』が、『みんなを元気にしたい天海春香』のプロデューサーを元気にできない?」
 高い確信を持って言ったその言葉に、春香は「あはは」とくたびれ果てた笑いを洩らし、
「…私には、それが悔しいんです。プロデューサーさんは私の事を一生懸命支えてくれるのに、私はプロデューサーさんの事を支えられない。プロデューサーさん、四条さんのプロデューサーさんの事私には全然言わないんです。きっと私に心配させないために。でも、でも私は、」

 そこで、貴音は春香のその笑顔を見た。
 余りにも寂しい笑顔のまま、春香は、はっきりとこう言った。

「私には、それがどうしても―――寂しいです」

 プロデューサーさんには言わないで下さいね、と取って着けたように言う春香は、泣きそうな顔をしていた。

 貴音は思う。
『天海春香』は化けた。IU1次予選の時に見た『天海春香』はもはやどこにも存在しなかった。
もしも「みんなを元気にしたい」などという夢を未だに語るのなら、『天海春香』は『四条貴音』にとっては何の障害足りえないはずだった。
 が、今はどうだ、『天海春香』の語る「みんな」が確実に顔を持ちつつある。
 夢や空想を語るのは簡単だ。実体がないからだ。
いずれこうなりたいとか、いずれあんな風になりたい、というのは貴音に言わせれば「寝てから見るもの」であり、信じていればいつかきっと夢は叶うなどという甘ったれた発想は唾棄すべき毒だ。
 天海春香もまた、「みんな」などという実体のない存在を「元気にしたい」などという空想を語る、路上の石ころにも等しい存在であったはずなのだ。
「―――…今の貴女様に、私はかける言葉を持ち得ません。ですが私は少し、貴女様に対して思い違いをしていたようですね」
 だが、もし、石ころが明確な存在を目したとしたなら。
 『天海春香』が「誰に向けて」歌を歌うのかをはっきりと自覚したなら。
「?」
「はっきりとしました。貴女様は―――『天海春香』は、『四条貴音』が打ち倒すべき敵です。いずれこの手で決着をつけるべき相手です」
 そして貴音は、実に朗らかで、実に明るく、実に好戦的な笑みを浮かべた。

「勝ち残りなさい。貴女様が朽ちるべきは予選会などではありません。私は来るべき頂で貴女様を待ちます」

 貴音はそこまで言い切り、くるりと春香に背を向けた。
顔に笑みが浮かぶのを抑えきれない。今の顔は大江にも、誰にも見せられないと思う。
 聞くべきは聞いた。見るべきも見た。
もうこれ以上この場に留まるのは無意味と思えて振り返った貴音の背中に、春香の声がかかった。
「四条さん」
 振り返って見た春香の顔には、寂しさと嬉しさが同居する複雑な笑顔があった。
「…お話聞いてくれて、ありがとう」
「…またお会いしましょう、天海春香。それでは、ごきげんよう」
 それだけを言い、貴音は控室の扉に手を掛ける。



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