声 (27)

―――そのおとこの人は、じ分のことをたび人だ、と言いました。
お姫さまはおもしろそうにおもって、おとこの人をおしろの中にまねき入れ、れんしゅうを休んでそのおとこの人の話にみみをかたむけました。
おとこの人はお姫さまにおねがいされるまま、じ分の見てきたものをお姫さまにお話ししたのでした。
とおくの国ではどんなおようふくがはやっている、とか、このくにに来るまえにのんだスープはとてもおいしかった、とか、そんなはなしをしていると、おとこの人はとつぜん、
―――ごめんなさい。ぼくはそんなに大したことはしていないので、お話しできることはこれくらいしかないのです。
―――いいえ、あなたのお話はとてもおもしろい。もっともっと、いろいろなことをおしえてください。
と、おとこの人に向かっておねがいするのでした。
おとこの人はそんなお姫さまに笑いかけ、つぎを話しはじめます。
つぎのはなしは、おとこの人のふるさとのお話でした。



 この話のモデルについて脚注をしておく。
この話に出てくる「国」と言うのは世界地図上では実に小さい王制国家であった。
国家と言っても様々で、自国で物資を生産する国もあれば外交で生命線を得ている国もあり、全体的な比率の話をすれば生産力のない小国とは大抵外交でその日の糧を得ることが多い。
 が、この話に出てくる国がその他大勢の国と一線を画しているのはレアメタルを始めとした豊富な鉱物資源に恵まれていたという点であり、その国は豊富な希少資源を楯に大国とも引けを取らない卓越した外交手腕を発揮していた過去がある。
もちろん、隣接する強豪国にしてみれば芥子粒のような小国にいいようにあしらわれているのは腹に据えかねるものがあったのか、歴史書を紐解いてみればあわや侵略戦争の口火かと思われる国境襲撃は近代に入ってからも3回は記録されているし、それ以外にも国境付近の小競り合いは弾薬の調達量や国境付近の国営病院の入院記録を参照すれば頻繁に起きていたことは想像に難くない。
それらを排除していたのはひとえに小国のお抱え軍部が来る日も来る日も外部勢力を排除していたという面が非常に大きいのだが、そこで大国は小国攻略のために一つ歴史の明るみに出せない作戦というものを実行したことがある。
 王族の拉致による威力交渉。
 当時まだ幼子だった王女を誘拐しようとしたこの件はしかし軍部のいち早い介入によって未遂に終わり、国際社会に訴えないことを条件に「武力非介入」の確約を国連の場で取り付けることに成功したこの外交は今でも四散した当時の国民が決して口にはしない武勇譚ではあるが、これが当時の国王には非常に衝撃的だったらしい。
国王はこの一件の後に商業外交的な取引先について国軍武力を専守防衛のみに用いる国に限定、さらに王女を軟禁状態にすることによって外部からの略奪的脅威に備えようとした。
 つまり、話に出てくる「おとこの人」と言うのはその例外的な取引国家の商社マンであり、更に言うなればそれなりの歳になった王女は「外の世界」に憧れていた。
事実として王室の記録に残る男の滞在記録は優に3か月に上っており、この記録からは請われるまま願われるままに男が王女に「外の世界」の話をしていた様子が浮かび上がってくる。
 そして、その3か月は王女に変化をもたらすのに十分らしかった。
王女が男の話す「外の世界」を通して男を好いていったのはある種自然の話であり、やがてめでたく二人の間には一人の子供が生まれることになる。
 童話では、その様子をこう描いている。



―――やがて生まれたそのおんなの子は、お姫さまによくにてとてもきれいなこえのもち主でした。
やさしいお姫さまにうたをならったそのおんなの子もまた、うたが大すきでした。
お姫さまとおんなのの子がならんでうたうと、だれもがしあわせな気分になり、うたいおわるとだれもがはく手をしてふたりをたたえるのです。



 要するに、親の才能を引き継いだその王女の歌唱力は同年代のジャリどもとは比較するのがアホらしいほど優れていたらしい。
が、資料によるとその歌は可愛らしいというよりはどこか得難い高貴な雰囲気があったという話で、この辺りは童話には「優しい」としか書かれていない王女が結構な教育ママだったことを言外に伝えてくれる。
幼少のころから王族のしきたりや習い事の類で同年代の友人などはいないといっても過言ではない時期を過ごしたその少女が現在何を思っているかは謎だが、しかし習慣とは恐ろしいものあり、籠の中にいる間は鳥も籠の中が快適ならそれなりに面白可笑しく過ごせるものである。

 ところで、この童話の出版元を眺めてみると面白い事実に気付く。
この童話は四条印紙株式会社が刷り元になっており、四条印紙株式会社と言えば貿易で名を馳せた四条家の中では落ち目の部類で、今から丁度20年ほど前に黒井重工株式会社が資本提携を名乗り出たことは業界はともかくとして一般社会にはそれほど知られていない事実である。
ドカチン系の鉄鋼屋だった黒井重工が紙屋を食らった理由はひとえにバブルに乗って経営を多角化させようとしていた時期だったからという理由に尽きるが、未だにこの手の絵本を出版できる程度には経営もそれなりに順調らしい。
 もっとも、この絵本の作者にしてみればこの本は絵本などと言う幼児向けの題材にはしたくなかったような気配が見え隠れしている。
今見ているこの資料も元はと言えば絵本の作者がジャーナリスト顔負けの潜入取材で拾ってきた情報だし、もともと書こうとしていた話は一体何だったのか資料の隙間には間隙を縫うように『ジフェニルクロロアルシン』だの『サルファマスタード』だのと言ったよく分からない名前もちらほら見える。
 しかし、よくよく資料を眺めてみれば資料が書きとめられたノートにはそれぞれ紙の隅にヒヨコのプリントがしてあるガキ丸出しの趣味が丸見えで、苦心の取材の果てにこの話を絵本として出版したのは作者にしてもやぶさかではなかったのかもしれない。
 真相は闇の中である。



―――そうして、お姫さまはいとしいおっとと、かわいい子どものかぞく3人で末ながくしあわせにくらしたのでした。



 童話はこうして親子仲良く暮らしました的な終わり方をしている。
言っちゃあなんだが非常に面白みのない話である。
 が、その辺りは作者の良心とも言うべきポイントであり、要するにこの後実際のモデルを襲った悲劇についてこの童話の作者は一切触れようとはしていない。
 童話の中では「末ながくしあわせにくらしたのでした」で終わったその家族は、しかし現実には残念ながら「末ながくしあわせ」な結末を迎えてはいない。



 ラーメン屋の発見に手こずっている間に2週間はあっという間に過ぎ、もう今週の半ばで師走に足を突っ込む気配になった。
どうせ寒いなら雪でも降りゃいいのにと大江はぼんやり思い、相も変わらず腐界の隅で熱心によく分からない言語の手紙を読んでいる貴音の背中に聞き咎められないような溜息をつく。
 貴音宛にやってくる解読不能な言語の手紙は日増しに増える一方で、最近ではややもすると一日に来るファンレターの半数以上がそれら不思議レターで占められている時もある。
読めない手紙が顔を出すようになったのはほんの数か月前だが、それ以降爆発的に数を増やした不思議レターの中には貴音の表情を見る限りどうやらカミソリやヒ素の類はなかったらしく、最近では大江も検閲を諦めて専らファンレターの開封係になっている。
 考えれば不思議な話である。
 アイドルと言うのはファンも多いがライバルも多い。ついでに言えば反感を持っている市井の連中は余人の想像以上に多い。
この辺りは勿論売れるアイドルの宿命と言えばまあそうなのだが、前述したとおりその手の連中の中には過激派じみた思考で剃刀メールを送ってくる奴もいる。
何も物理的に剃刀を入れてこなくとも言葉とは力であり、たった一言が少女を無敵の超人にしたりもすれば巨人の心臓を穿つのもまた言葉である。
貴音が座り込んで読んでいる不思議レターはすでに段ボール4箱目になっており、他の3箱はすでに中身を読まれて大江の巣の東の隅でうず高く積まれて大江のアホ面を見下ろしているが、どうやらその中に貴音を嘲笑うような内容の手紙はなかったらしい。
 普通のファンレターなら、誹謗や中傷の類が10割中5分くらい入っていてもおかしくはないのに、である。
「なあ貴音、その手紙なんて書いてあるんだ?」
「さまざまな事が」
 大江が手紙の内容を問うと、貴音は決まっていつもこう答える。
手紙を読んでいる最中の表情には渋面だった記憶がないからおそらく不思議メールは検閲しなくても問題ない純粋なファンレターなのだろうが、肝心の手紙の内容について貴音は一度「がんばれ」的な事が書いてあると回答したきりだ。
「また『がんばれ』って話か?」
 そして、大江はこの日初めて手紙の内容について突っ込んだ質問をすることにした。
貴音は大江の問いにようやく大江に顔を向け、
「はい。先月売り出したCDはとても良かった、前の“てれび”は非常に好感が持てた―――概ねは、そのような事ですね。あとは、取り止めのない話です」
「取り止めのない話?」
「はい」
 大江が数回に渡って貴音宛に来るファンレターの内容を気にするのには勿論誹謗中傷が紛れ込んでいるかもしれない可能性の他にも訳がある。
一般的な話ではあるが、ファンレターと言うのは貴音の言うとおり「先月のCDはとても良かった」だの「昨日のテレビはとても感動した」だの、誤解を恐れない言い方をすれば要約して僅か数文字に収まる内容がほとんどだ。
これはファンレターという内容の手紙を送ってくるのはコアなファンで、しかも差出人は殆どが以前にファンレターを送ったことのある者であるという特徴に由来する。
「先月の」や「昨日の」という「前回の」という言い方がファンレターの中に数多く見られるのはそのためで、要するにファンレターを送ってくるファンと言うのは逐一アイドルの動向に注目し、アイドルが何かアクションを起こす度にファンレターと言う名前のパトスを送りつけてくるのである。
ファンにしてみれば手紙の中で「前回の」出来事より前の事はその前に送ったファンレターに書いており、過去を遡ってアイドルのアクションに批評をつけるという事は余程のコアファンでない限りしない。
勿論最初のファンレターはそれなりに長くなる―――たとえば、聞きもしないのにアイドルのファンになった理由が書かれていたりする―――のだが、それも2度目以降のファンレターともなれば大抵はせいぜいが便箋一枚に収まる程度の内容しか書かれないのが常である。
ファンにしてみれば「自分はアイドルのファンである」と言う事をアイドル本人に知らしめられればいいのだし、だからこそ多くのファンはファンレターという「手紙」を出したにも関わらずアイドルからの返信を期待することはない。
 が、不思議レターはその殆どが便箋1枚で収まってはいない。
少なくとも2枚から3枚、多い時には封筒がパンパンに膨れ上がる程の量の便箋の内容は確かに要約するにもしきれない量ではあろうが、貴音はそれらの手紙をすべて丁寧に読破している。
以前ちらりと見た時には意味不明な言語にアンダーラインが引かれていたりもしたし、ひょっとしたら貴音はこれらの手紙に返信をしているのかも知れなかった。
「聞いていいか? その中身」
「…大江様がお聞きになって面白いものとは思えませんが」
 それでもよろしければ、と貴音はまだ読んでいない手紙の束から一通を取り出し、
「…『11月20日にとうとう父が退院しました。入院中父は貴音様の歌をずっと拝聴していて、治ったらすぐに手紙を書くのだと言っていました。こうしてお手紙を書けることに喜びを感じています。貴音様もお体に気をつけて』、」
「…はい?」
「? どうかされましたか?」
 間抜け面を晒した大江を貴音は心底不思議そうな眼で見ている。
「…いや、それお前宛のファンレターなんだよな?」
「はい」
「なんで親父が退院した話なんだよ」
 至極当然の疑問のはずなのに、貴音は一体なぜそんな事を聞くのか、という表情を浮かべている。
4畳の狭い巣の中に言い知れない沈黙がたれ込め、大江は一つ咳払いをして、
「他のやつは?」
 貴音は大江のその問いに親父が退院して云々の手紙を脇に置き、新たに未読のファンレターの山から一つを取り出して、
「『拝啓、貴音様。先日はお手紙をありがとうございました。実は先週私の飼っている犬がとうとう出産をしました。貴音様もご存じの犬の孫が生まれたことになり、時の流れの速さを』、」



 要するに、大江の読めない貴音あての手紙は文字通り『手紙』のようだった。
今後の『四条貴音』の活動を阻害するものでないという事に安心する一方、一体何なのかとも思う。
その後矢継ぎ早に貴音が読んだ手紙はどれもこれもすべて差出人の近況報告の様相を呈していて、とてもではないがこれは世間一般で言う『ファンレター』の体裁をなしていないと思う。
以前に「この種のファンレターを捨てたことはあるか」とは確かに聞かれているが、手紙の中には何度か貴音が律儀に返信をしていたと思うに足る文面があったようだし、返信をするくらいだから貴音は最初からこれらの手紙を世間一般で言う『ファンレター』そのものだとは認識していなかったのかもしれない。

「―――『孫もとうとうこちらの国の小学生になり、私も老人と呼ばれる歳に』」
「…あー、もういいや。とりあえず俺が心配してた内容じゃないってことは十分に分かった」
「ですから、面白いものとは思えませんと申し上げましたのに」
 しかし、そう言う貴音の表情はこの上ないほど穏やかである。
大江にとってはよく分からない内容ではあったが、こうしてみると貴音にとってはこの私信の類は本当に大切なものなのだろう。
大江はそんな貴音の表情に呆れたような溜息をつき、見上げた壁掛けの時計は間もなく19時を指そうとしていた。
「…と、もうこんな時間か。そろそろミーティングして今日は〆ようや」
 と言っても、ミーティングという物々しい言い方の割に伝えるべき事はそう多くない。
精々が「明日もテレビ出演があるから夜更かししないように」と「週末にオーディションがあるから新曲の歌詞を覚えておくように」と言う事で、付け加えるならば「インフルエンザに罹ったら気合いで治せ」程度のものだ。
「明日はテレビの出演、週末はオーディションですね。大江様も体調には十分にご留意下さいますよう」
「…このね、言おうとしていたことを先回りして言われるこの脱力感」
 肩を落とした大江に向けてしてやったりな満面の笑みを浮かべ、貴音は手紙の山の上から封筒を一つ取り出した。どうやらもう少し手紙を読んでから退社する気のようだ。
持って帰っていいとは言ったはずだが、結局そう言われて持って帰った手紙を会社に回収されて以来貴音は手紙を社で読むようにしているようだった。
 ファンレターだけでなく、アイドル『四条貴音』に宛てられた書面は例外なく社で保管する決まりだ。
「持って帰っていいって言ったじゃないか。大して重くないだろ」
「結局大江様が資料室に運ぶことになりますから。ご迷惑をお掛けするわけにはいきません」
 万が一にも破かないような慎重な手つきで封筒の糊を剥がす貴音に大江は疲れたような溜息を吐き、
「ほんとに大事なんだな、その手紙」
 貴音は大江の方を見ず、まるでお預けを食らった子供がようやくプレゼントと対面するかのごとき表情を浮かべて、
「はい。これは、私の大切な、大切な、」



「私の大切な大切な」手紙の文面を見た貴音は、そこで表情を強張らせた。
今までの穏やかな表情とは一変した貴音の表情には、何か悪いものでも見たような強張りがあった。



「…おい、どうした?」
「なんでもありません」
 嘘だ、と思う。
が、そう思った瞬間貴音はいつもの表情を取り戻し、読もうとして開けたはずの封筒に読もうとして取り出した筈の便箋を突っ込み、未読の束がひしめく段ボールの上に手紙をそっと置き、実にわざとらしい仕草で時計を見て、
「それでは、本日はお暇いたします」
「お、おい貴音、どうしたんだよ?」
 貴音はすっくと立ち上がる。
まるでいつもの様子の貴音からは、いつもの様子であるが故に何かがあったと丸分かりの雰囲気を醸し出しつつ、ハンドバックを手に取った。
「明日は早いと伺っております。大江様も遅刻なさいませんよう」
 それではごきげんようと貴音は言い、眼を丸くした大江に一瞥もくれずに4畳の扉を潜る。



 もうすぐ12月という色眼もあるのか、屋上から見下ろす街並みの光はいつもに増して絢爛に見える。大して寒いと感じないのは風がないからなのか。
大江は休憩室のベンダーで買った缶コーヒーを片手に落下防止用のフェンス越しに街並みを見下ろしている。
 煙草断ちしてから随分経った。
 実を言うと大江は大学生くらいからのヘビースモーカーである。
酷い時には一日に2箱半を開けていた頃があり、丁度その頃受けた健康診断で正直に喫煙量を申告したら美人の看護婦に汚物を見るような目つきをされた事は誰にも話したことのない大江のトラウマで、それ以来ミリを上げて節煙を心がけていたのは遠き日の善き思い出だ。
 今ヤニを肺に入れたら死ぬほど旨いのではないかと思うが、今大江の手にあるのは残念ながらベンダーで買った120円の缶コーヒーである。
これも計画のためだと思えば仕方ないが、しかし今でも高木の親父はヤニをバカスカ吸っているのだと思えばちょっと外れクジを引いたような気もする。
 遠藤にそう言ったら、全部お前が始めたことじゃないか、と言われた。
 全くその通りなので、反論せずに黙っていた。
 全くその通りだからこそ、このくらいはやってくれないと困るとも思う。
 缶コーヒーを飲み干し、貧乏たらしくも最後の一滴まで啜りきった缶を足元に置くと、大江はおもむろに懐から携帯電話を取り出した。
パカリと開けて履歴を確認すると、履歴の多さが売りだった4年前の携帯電話の履歴にはすでに着信履歴にも発信履歴にも『音無小鳥』の名前はない。
 仕方がないのでアドレス帳をめくり、『古巣』フォルダの中にある小鳥の携帯電話番号を見て気持ち悪い笑顔を浮かべ、大江は何のためらいもなく小鳥に向けて電話をかける。
 一発で掛かる、
「…あ、お疲れ様です小鳥さん。大江です。…はい、はい。ええ。あいつ元気にしてます?」
 受話口から『バーカ』と言う声が漏れた。
 全くその通りなので、そこに反論はしない事に決める。
「はいはい。馬鹿で結構でございます。馬鹿なもんでちょっと気になることがあるんですけど、」
 そこで、大江は再び懐に手を突っ込み、折り目がつかないように慎重にしまったと思しき封筒を一つ取り出した。
「…ええ。はい。あのですね、ピヨネットに欧州系の言語に強い奴っています?」

 取り出した封筒の宛名には、『四条貴音様』とある。





SS置き場に戻る          声に戻る                その26へ      その28へ

inserted by FC2 system