声 (29)

 女性らしい真っ赤な軽自動車と言えば聞こえはいいが、一体中に何馬力のエンジンを積んでいるのかと思うほどに小鳥の運転は荒っぽい。
ひょっとしたらスピード狂なのかもしれないと思えるほど猛々しい運転をしている小鳥の様子はしかし、運転に比して別に焦っているような様子は見えない。
ひょっとしたら小鳥も色々と溜っているのだろうか。
「…どこに連れて行くんです?」
「プロデューサーさん、お昼も食べてませんよね? だめですよ辛くてもちゃんと食べなきゃ。人の体は食べたもので出来ているのです」
 全く答えになっていない回答から導き出される目的地はどうやら食事を提供する場所のようだ。
プロデューサーは腕を組んだまま溜息を付き、公安のネズミ取りがいれば一発で検挙間違いなしのスピードで後ろに吹っ飛んでいく街並みを眺める。
赤と緑で彩られた町並みは通常の運転スピードならクリスマスの情緒を感じさせてくれるのだろうが、今のプロデューサーにとってはそんなものに配るほどの気はないしおまけに超スピードで過ぎ去るデコレーションはまるで趣味の悪い落書きのようにも見える。
「どこまで知ってます? 計画について」
 どこか遠くから、小鳥の声が聞こえた。
相変わらず窓の外は尋常ではない速度で後ろに吹っ飛んで行っているが、ひょっとしたらこの運転は小鳥の地なのかもしれない。
「…どこまで知ってたら満足ですか?」
「私としてはプロデューサーさんが全部知っててくれた方が楽です。説明の手間が省けますし、後々こちらの話も繋がりやすくなりますから」
「……」
 小鳥の口調にこちらの腹を探るような気配はない。
小鳥はまるで今日の献立の話をするかの様にそう言うと、軽の見てくれにそぐわないマニュアルギアを上げて下位ギアにシフトする。
視線を前に戻すと目の前にはETCのレーンギアが鎮座しており、「20km以下」という電光掲示板の主張を一切気にする素振りもない赤い小型車はまさしく突破の勢いでレーンを潜り抜ける。
 首都高に入った。
「…計画の骨子は、大体読みました。あいつをアイドルマスターにするために765と961が手を組んでることも」
「大江さんをアイドルマスターにするために、765が土壇場であなたたちを裏切ることも?」
 日曜の夜だからなのか、首都高は空いていた。
小鳥はまるで感情を読ませない横目をプロデューサーに投げており、プロデューサーは黙してただ一度だけ顎を縦に動かす。
「最近のあなたの就業時間表見ました。ずいぶん頑張ってるみたいですね」
「…誰のせいだと思ってるんですか」
「私のせいだと?」
 心外だと言わんばかりの口調でそう言う小鳥に、プロデューサーは隠す気もない溜息をつく。
小鳥は765始まって以来の古参だ。小鳥が平時に何をやっているかなどプロデューサーの預かり知らない事ではあるが、聞いた話によれば最近の小鳥の仕事は社長の秘書の真似事らしい。
それも小鳥が古参であり高木社長の経営を草創期から見てきたからなのだろうし、古参だからこそ得体の知れない「ピヨネット」なる組織の長として君臨することもできるのだろう。
つまり、小鳥はそのくらい「計画」の立案に関わった可能性が高い。
「…前もって言っておきますけど、私は最初から『アイドルマスター計画』に反対でした。誰かを犠牲にして誰かをトップに立たせるなんて、そんなの間違ってると思います」
 小鳥は致命的な事を言っている。
つまり、「最初から」反対だったという事は最初から小鳥は「計画」の立案に携わっているという事になる。
「でも、社長は最初からこの計画を実行ありきで企画してました。高木社長が961の黒井社長と話をしたのも私の知らないところでしたし、最初は冗談だと思っていた計画を本気で実行する気なのかもしれないと思った時にはもう、計画は止められないところまで来ていたんです」
「黒井社長との連携?」
「それもひとつ。もう一つは大江さんの扱い」
 首都高をまるでジェットコースターのように赤い小型車が疾走していく。
クリスマスに浮かれる街並みを背中に、プロデューサーと小鳥の顔を橙色の道路灯が次々に焼いていく。
「大江の扱い?」
「総会がIUを立ち上げた主な理由、知ってます?」
「確か資金難だと」
 小鳥はにこやかに頷く。
その横顔からは小鳥の腹の底は窺い知れず、プロデューサーには10年もキャリアの離れたこの年上の女が何を考えているのか全く分からない。
「資金難は人材難に直結します。いくら総会に全国の芸能事務所が所属してるといっても、トップの人材難は容易に組織からの離反と疲弊を招きます」
「つまり、大江は総会に招聘されたと?」
「ちょっと前までの総会離れの動きはプロデューサーさんも知ってますよね? 今までは総会に所属することで得られたメリットは大きかったんです。テレビ出演の優先的な斡旋とかライブ会場の手配とか。でも、最近はそれぞれの会社が個別にそれらの手配をしても総会の斡旋に比べて遜色なくなってきました。そこで、総会はIUの制度を使って、もう一度求心力を取り戻そうとしてるんです」
「それが大江と総会にどう結びつくんです」
 小鳥の視線が左にスライドする。どうやらそろそろ高速を降りるようだ。
入ってから僅かな時間しか走っていなかったと思ったが、ちらりと見た速度計のスピードはカーレーサーにでも転職したらどうかと思うような数字が表示されていた。
「IUの前に行われていた年4回のファン感謝祭は、どちらかと言えばお披露目の場でした。争いもなく、競い合う事もなく、もちろんファンの獲得者数が多いアイドルじゃなきゃ出場はできませんでしたけど―――でも、出資元だった総会は、当のアイドルを擁するプロモーション会社の離反で疲弊を起こしている」
 どこかで聞いた話だった。この話を最初にしたのは誰だったか。
「そのためにIUを作り、日本で一番売れてるアイドルを決定する場を設けることで、各企業にもう一度総会への求心力を高める?」
 そう言うと小鳥は一度頷き、プロデューサーに眼だけで預けていたハンドバッグを開けるように指示した。
素直に従う、中には年齢を考えないピンク色の化粧ポーチとピヨネット占いで巻き上げたのだろう雑多な菓子類とインカムのスペアボールに混じって無骨な茶封筒が入っている。
「封筒です。化粧ポーチ開けたら帰り道の保証はしません」
 小鳥がそう言うより前にプロデューサーは茶封筒の封を切った。
中から顔を出したのは縦横に升目の入ったグラフのようではあるが、肝心の升目には何の単位も書かれていない。
X軸に該当するであろう部分には走り書きのような数字が書かれていて、スタートには「9」と書かれている。
この数字が何を意味しているかはわからないが、どうやら「12」の次が「1」と言うところから推測するにX軸の表すところは月なのだろう。
Y軸には単位どころか数字すら書かれていないが、全体を俯瞰するとどうやらこのグラフに書かれている対象は11月にその数を大きく増したようだ。
「何だと思います? その数字」
 考える前に答えを言われる、
「総会に所属しているプロモーション会社の数です。去年の9月から今年の10月までの推移。11月に凄く増えてますよね?」

―――いつか、いつか自分も、あんな風になれるだろうか。

 もう何百年も前の話に思える、自分が何も知らなかった時のあの日のあの全国芸能界総会の本部会場。
IUの制度説明会が開かれたあの日は確か11月だったと記憶している。何も知らなかったあの時の自分を思い出し、プロデューサーは本日2度目の暗い笑みを浮かべる。
 あれからもう1年が経った。
 あの頃の純粋な思いは、純粋がゆえに消し去りたい過去になった。
「IUの制度が発表されたのが9月。芸能事務所がこぞって総会に所属登録したのが11月。わずか二カ月で、総会は過去の威光を取り戻したかに見えました」
「万万歳じゃないですか」
 降り口のETCゲートを赤い軽が突破の勢いで潜り抜けていく。
レーンの下に括りつけてある「ご利用ありがとうございました」と「速度制限20km以下」の二つのプラスチックカードが無謀な運転で通り過ぎて行った車に揺らめいて賛辞を送っている。
 小鳥はため息をつく。
「ですが、話はそう上手くはいかなかった。考えてもみて下さい、自分の利益のために一度は下った組織にまた戻ったっていう会社が多かったんです。総会が纏まったと思います?」
「……」
「結論から言うと纏まりませんでした。IUの出資元の最も大きいところはどこか、IU制度の制定のために使われた莫大な資金は一体どこが補填するのか。主幹が総会であればこそ、昔から総会に所属していた企業のアイドルが重視されることはないのか、はたして評価は本当に平等なのか。果ては会場がどこなのかなんて話まで始まりました。爆発的に加盟数を増やした総会は、爆発的に加盟数を増やしたせいで何一つ物事のまとまらない頭でっかちな組織になりました」
 話をしながら、小鳥は気ぜわしげに下界の街並みを見回している。
何かを探しているような気もするが、そもそもどこに連れて行かれるか分からない以上探す手伝いすらできない。
「…それで、あいつがその話にどう関係するんです」
「内紛状態に陥った総会の本部は、そこで一つの案を出しました。前に言ったとおり、去年の11月時点での総会には溢れた加盟企業を纏められるほど優秀な人材は残ってませんでした。それで、所属している各企業に向けて、あるお触れを出すんです」
 信号に掴まった。
赤い軽はまさしく前につんのめる様に停止線手前に停車し、あまりの衝撃に優秀なシートベルトのジョイントが事故と勘違いしたのかベルトホルダーを固定する。
「『各プロモーション会社から、それぞれ一人ずつ専任として人材を派遣すること』です」
「…それが、あいつだと?」
 小鳥はにんまりと笑う。
「ええ。765では大江さんに白羽の矢が経ちました。プロデューサーとしてのキャリアも十分、担当したアイドルは軒並みAランク。他の会社の人たちの覚えもいいし、人脈も広い」
 何だか面白くない話だった。
 あいつは裏切り者だ。765を裏切り、961に所属し、最も高貴で誇りに満ちた765のプロデューサーとしての矜持も投げ出した唾棄すべき男のはずだ。
「そんな顔をしないでください。少なくとも、11月のあの時まではみんなそう思ってました。…、だからこそ大江さんを総会に出すことに私たちは最後まで反対していたんですが」
 表情に出ていたらしい。プロデューサーは一度溜息をつき、再び顔に能面じみた表情を張り付けて小鳥に視線を送る。
 信号が青になる。小鳥はキックダウンを疑うような出だしで夜の都心を走りだす。
「もっとも、社長にとって大江さんを総会に出すことは牽制の意味合いもあったんでしょう。古株の765が率先して優秀な人材を総会に拠出することで、他の会社にはある種の危機感が生まれたみたいです。総会内で大江さんの地位が確約されれば、それだけIUでも765にメリットが生まれるんじゃないか―――そんな考えが主流になったんでしょうね、他のプロモーション会社もこぞって他企業に知られるような人材を総会に拠出しています」
 小鳥に促されるままグラフの裏側を見ると、総会入りが確定したメンバーのリストが載っていた。
そこには小鳥の言うとおり、2年目のプロデューサーでも名前を聞いた事のあるようなやり手のプロデューサーが何人も名を連ねている。
南海プロモーションからは吉住、東野プロダクションからは入谷、そして―――
「社長命令が下ったのは去年の12月です。大江さんは最初こそ嫌だって言ったそうですけど、条件を一つ付けて承諾すると言いました」

―――誰だってあるだろ、こうなりたいとかこういう事がしたいとか。

「『アイドルマスター』に、なる事」
 小鳥は頷く。
もう知ってるとは思いますが(・・・・・・・・・・・・)、『アイドルマスター』になるためには一企業の中でどれだけアイドルを育てても駄目なんです。業界への貢献なんて名目、あまりにも具体性に欠けます。そこで、高木社長は新興の…そして、旧知の仲だった黒井社長に話を持ちかけました」
 小鳥のチラ見走行が再開する。
小鳥は何かをせわしなく探しながら、まるで走ることそのものが目的のように壮快な速度で夜の街並みを吹っ飛ばしていく。
「1年間限りの条件ではありますが、大江さんを961に移籍させて第1回アイドル・アルティメットを優勝させ、大江さんを『アイドルマスター』にする。これが、高木社長が黒井社長に持ちかけた話―――『アイドルマスター計画』の始まりです」
 そして、この話を初めて聞いた時は、もう自分には止められないところまで話が進んでいました、と小鳥は言った。
「765にしてみれば、『765から移籍してわずか1年のプロデューサーが新興のプロモーション会社からトップアイドルを育て上げた』という実績が手に入ります。そして新興の961にしてみれば、大江さんのプロデュース技術を蓄積させることで容易に10年分の営業ノウハウが手に入ります。この計画は、2人の社長と1人のプロデューサーを巡る話なんですよ」
 勿論人のコネを使う営業のノウハウは蓄積できませんけどね、と小鳥は負け惜しみのように言った。
 話の出だしは何となく掴めてきた。
要は総会が各企業に一人ずつ人材を派遣しろと言ってきたことがそもそもの発端らしい。
が、だとしても大江が765を裏切って961にいるのは紛れもない事実だし、「アイドルマスター計画」の誓約文書を読んでいる以上プロデューサーにしてみればとっくに高木社長もクロだ。今更の話である。
「…で、小鳥さんが俺に合わせたい人って、誰なんです」
「……」
 突然車の走行スピードが落ちた。
ようやく制限速度まで速度を下げた車の中で、小鳥はゆっくりと、本当にゆっくりとハンドルに指を這わせる。
「さっき言った総会の内紛の話、私には覚えがあります」
「?」
 小鳥は何かを見つけたようだった。
小鳥の視線に沿うように飛ばした視界の中に、こじんまりとした定食屋兼居酒屋のような貧相な面構えの店が一軒提灯を下げている。
思わず「あ」と声が出る、あの提灯には見覚えがある。
「…『8/3の乱』って、聞いた事ありますよね」
「…確か社長のセクハラがもとで起きたっていう、765の内紛だと」
 小鳥は、今のプロデューサーをしてゾッとするような暗い笑みを零した。
「今のところそういう話になってますけどね。真相は全く別です」
 車がゆっくりと提灯から離れていく。
見たところ提灯の下には駐車場がないようだから、近場の駐車場でも探しに行くのだろうか。
「どういう事です?」
「簡単な話です。去年の11月の総会と同じことが、5年前の8月に765でも起きたんですよ」
 小鳥は言う、
「あの頃、丁度4人目のAランクが大江さんの手で輩出されたことで、社長は機と捉えて会社の規模を拡大しました。みんな喜びましたよ、自分の家みたいだって思ってた会社が大きくなって、新しい仲間も増えて。でも、増えた仲間は勿論みんな人間で、考えていることもみんなバラバラでした。ある人は昔ながらの方法でアイドルを育てればいいと言い、またある人はアイドルを会社の資産としてさらに社を発展させるべきだと言いました」
 最初は小さな亀裂でしたけどねと言う小鳥の表情には、辛い過去を振り返る時特有の遠い笑みがある。
「私や大江さんは昔ながらのゆっくりとした育成を主張しました。アイドルとは人間であり、商品ではない。だからこそゆっくりと育て、最後にAランクとして終われればそれでいいと。ですが、他の―――大多数の人たちの意見はそうではなかった。アイドルとは賞味期限のある生モノであり、機を逃せば腐って行ってしまう。そうして、『アイドル』を巡る考え方の違いは、とうとう社を上げての内紛に縺れ込みます」
 要するに、5年前の765には今の961のような考え方をする連中が少なくなかったという事だろうか。
プロデューサーは黙考する、5年前の内紛の真相、大江の豹変染みた態度、「怒っている」と言いながら自分を踏み台にして大江を『アイドルマスター』にしようとした高木社長、そして内紛の結末。
「…負けたんですね」
「結論を言えばそうです。その結果、古株のみんなは一斉に765に見切りをつけて野に下りました。そして―――その頃から、高木社長はおかしくなっていった」
 小鳥の眼には遠い昔を懐かしむような色がある。
楽しかった日々を思い出すかのような、辛かった日々を回想するかのような色だ。
 そして次の瞬間、小鳥の瞳から光が消えた。
「…昔はあんな人じゃなかった。あなたたちを使い捨てにするような事を呑むような人じゃなかった。きっと昔からの自分たちのやり方が否定され、自分のまわりに敵しかいなくなったことであの人は変わってしまったんでしょう。私たちは『アイドルマスター計画』を知った時、ようやく―――本当にようやく、その事実に気づいたんです」
 暗闇に光る「P」の文字が、不気味なほどに光っていた。
「もう、私たちの高木社長はどこにもいないんだって」

―――自分が目標としていた大江はすでにもう、どこにもいないのだ。

「あなたなら分かるはずです。目標としていた人が目の前で変わってしまったあなたなら」
 遠くから眺める分には、高木社長の変化も分からなくはない。
昔からのやり方を否定され、腹の中には己と異なる方針で突き進む子飼いが増え、更なる内紛を防ぐためにはトップとしての振る舞いも変えざるを得なかったのだろう。
 その時の高木社長の絶望は如何ばかりだったのか。
己の周りに敵しかおらず、味方の少ない中、ワンマンの社長の取れる選択肢はそう多くないはずだ。
 そして、小鳥が言う事が事実なら、高木社長は残った765社員に迎合する選択を、少ない選択肢の中で最も取ってはならない選択をしたのだろう。
『アイドルを商品とする765』という選択をしたのだろう。
 しかし、だとしたら、あの時の言葉は一体どういう意味だったのか。
「『アイドルマスター計画』を実行するに当たって、私たちもまた計画を始めました。実行者は私と下野した元765プロデュースの面々…今は『ピヨネット』として活動している古株たち」

―――それは―――君たち『プロデューサー』にしかできない事だからね。
 あの言葉の真意は、一体何だったのか。

「あなたに会わせたい人は、私たちの計画の代表者の一人です。私が話してもいいんですけど、今のあなたには私から話しても疑われるでしょうから。でも一つだけ、私からあなたに言っておきたい事があります」
 高速道路の走行が嘘のような丁寧な運転で駐車すると、小鳥は薄暗い笑みのまま、プロデューサーに向けて妖艶な笑みを浮かべた。
「私たちは、あなたの味方です」

駐車場から見える提灯には、「たるき亭」と書かれている。




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