声 (3)

 全国芸能界総会の本部会場は無闇矢鱈に豪華な造りであり、大江が臆することなく受付で記帳と出席者のバッチを受け取る間の新米の様相は実に挙動不審であった。
大江からは「お前ビビり過ぎ。何も取って食われるわけじゃねえだろ」とまで言われてしまったが、しかし入社から9ヶ月目に入ってようやく自社ビルの大きさに慣れた新米の眼をしてまさしく総会所の受付は閻魔帳の台座に見える。
正面ゲートを潜ったところでまず真っ先に目に入ったのはホール奥から2階席へと続く緩やかなカーブの階段であり、大理石と思しき床からはまるで絵本に出てくる中世ヨーロッパ的な柱がにょっきり生えている。
奥側中央で存在感を発揮している大ホールへと続く扉を中心とした柱を見上げていると壁沿いに何本ものパイプが走っていて、視線を這わせてパイプの行く末を追うと3階位の高さにパイプオルガンの座席が見えた。
なんだか無性に居心地が悪い。すがるような視線を大江に投げると大江は苦笑して、
「そっか、お前本部来るの初めてだったっけ」
 いつかは来ることになると思ってはいたが、まさかここまで荘厳な造りだとは思わなかった。
本部会場は日本国内の芸能事務所がただ一つの例外もなく所属している総会の所在地であり、時折海外から来日するスターたちもまずはここで新作新曲のお披露目を行うという由緒正しき大会場までを備えた本部会場はまさしく芸能の殿堂だと思う。
 社長は今までも何度か総会へと出席するためにここを訪れていたようだし大江もそのお付きと言う形で何度か会場を訪れていたようだったが、何せ新米がここを訪れるのは初めてだ。
これでビビるなと言う方が無理だと思う。もはや設計者は馬鹿なんじゃないだろうかとしか思えない。
「アイドルマスターグランプリの会場な、ここだったんだ」
 新米でも名前くらいは知っているオーディションだ。
確か2月の初めに行われる全国規模のファン祭典であり、765の歴代のAランク達であってもおいそれとは出場できないほどの超名門オーディションである。
 しかし確か、
「大江さん、何度かアイドル連れてきてるんですよね、グランプリに」
 どうでした、と言う視線に大江は苦笑を洩らす。
「別に俺が何かしたわけじゃない。あいつらがここに来れたのは単にあいつらの功績だ。俺たちは裏方でいいんだよ。…それに、知ってるか? グランプリ、今年から廃止だ」
「ええ!?」
 驚いた拍子に大きな声が出て、ホールで記帳をしていた他社の重役たちの視線を一身に集めてしまった。
若干の恥ずかしさが腹の底辺りから湧いてくるが、しかし今はそれ以上にグランプリ廃止と言う驚愕の事実に新米の心は支配されてしまう。
「は、廃止ってどういう事ですか!?」
 すると先輩は声のトーンを落とすように手振りで指示して周りに向かって愛想笑いをし、新米の頭を拳骨で一発小突く。
「お前馬鹿声でかいよ。廃止って言うかな、名称変えって言った方が正しいのか。ここに来る前に書類渡したろ、今日の集会の告知資料。まだ読んでないのか」
「…アイドル・アルティメット…でしたっけ。まだ触りだけしか読めてないんです。確か、2ヶ月に一度予選会やるってとこまでしか」
「―――そこから先の説明は、私がした方がいいかな?」
 突然後ろから掛けられた声に後ろを振り向くと、胸に参加者のバッジを着けた高木社長がまったくの無表情でこちらに近づいてきた。
思わず体が硬直する、新米はまだ高木社長の人となりを掴めていない。
「社長、お疲れ様です。…何か変な事でもあったんですか?」
 大江の口ぶりから察するに、社長は普段から無表情なわけではないらしい。
社長は大江の問いかけに「見たくないものを見た」と言わんばかりに顔をしかめ、次いで気が付いたのか「ああいや、君の事ではないのだが、」と言い辛そうに言う。
「新米君も今年からプロデューサーだからね、きちんと知っておいた方がよかろう。大江君は説明があまり上手い方ではないからね」
「んなことないっすよ社長、ちゃんと説明します。―――あのな、今までのアイドルマスターグランプリにも予選会があった事は知ってるな?」
 知っている。
アイドルマスターグランプリは確か日本を6ブロックに分けた予選会の覇者たちが一堂に会する国内随一のライブパレードだ。
6ブロックを勝ち抜いた猛者たちが所狭しと暴れまわる様子はビデオでしか見たことはないが、確かに壮大と言っても過言ではなかった顔ぶれを見た新米はテレビの前で思わず正座をしてしまったほどだった。
 新米の頷きを確認し、大江は次の言葉を繋げる。
「いままでの国内大型ライブは年に4回あったんだ。アイマスグランプリに夏のファン感謝祭にあと何だっけ、まあいいや。それをバックアップしていたのは総会なんだが、これはどっちかって言えばあくまでもファンに対するサービスの意味合いが大きくてな」
「群居するようになったプロデュース会社の市場は消費者たるファンたちに開かれる部分が少なくてね。年4回あったファン感謝祭を一本にまとめることで、芸能界にも競争の原理を入れよう、という発想だよ」
「…社長、それ俺のセリフです」
 大江の説明に茶々を入れ出した社長をしり目に、新米は顎の下に手を当てる。
競争の原理なるものが一体何を指しているのか分からないと顔に出てしまったのか、社長は一つ溜息をついた。
「―――『どこの会社のどのアイドルが日本で最も人気のアイドルなのか』を決める、と言うのがアイドル・アルティメットの発想だ。どうだね、聞いただけでわくわくして来んか?」
 わくわくする前にまずは実感が欲しいと新米は思う。
要するに、日本で一番実力のあるアイドルを決めるものがアイドル・アルティメットなのだろう。
発案者は中二病かと思う。まさにアイドルを単なる『商品』としか見ていないようなその発想に新米は若干ゲンナリし、
「…僕、それどうかと思うんですけど」
「ほう? それは何故かね?」「何でだ?」
 二人揃って同時に聞かれた。
何でって言われても。新米はパイプオルガンの配管に助けを求めようと壁に向けて視線を飛ばし、「IU説明会会場は1階大ホールです」と書かれた垂れ幕すら馬鹿のようにでかい事に気が付いた。
「…僕まだプロデューサーじゃないんで、実際のところは分かりませんけど、」
 今から言う事は新米の与太だからあまり真剣にとらえないでほしい、と視線だけで上司二人に訴えると、大江は一つ黙って頷き、社長は一言「構わん」とだけ言った。
「アイドルって言ったって人間なんですから、色んな人がいていいんじゃないですかね」
「色んな人?」
「いやあの、ホント素人の発想ですからね? 経営とか全部抜いて考えちゃってるんですけど、IUだか何だか知らないですが、そういうオーディションで振いに掛けられて規格化されたアイドルがチヤホヤされるんだったら別に僕らアイドル担当する必要なんてないじゃないですか」
 ここで、大江の眉がぴくりと動いた。まだズブの素人と言っても今年からプロデューサーであり、普段とは少しだが確実に違う大江の様子に新米は何かとんでもないことを言ってしまったのかと思う。
恐る恐る社長を見ると社長は少しだけ口元を歪め、「続きはあるかね?」と言う。
 腹をくくる。
「僕らサービス業なんだから流行り廃りはあって当然だと思います。でもアイドル業って個性を売りだす仕事だと思うんですよ。変に規格なんて作って型に嵌めた人形作ったって絶対面白くないと思う、んです、けど…あの、僕やっぱりいいです、今のなしでお願いします」
「…社長、」
 慌てふためく新米に一瞥すらくれず、大江は社長に向かって真面目そのものな表情を向ける。
社長もまた重々しく頷き、
「君のような新人が入ってくれて、私はとても嬉しいよ」
 素直には喜べない。
社長の顔は実に曇っていて、ひょっとして自分は今出世の道を断たれたのかと思う。
いやあのやっぱりなしで、いやーIU楽しみだなーと空寒く言う新米に向けて社長は深いため息をつき、
「私もね、君の意見に賛成だ。わが765プロはIU制度の採用に最後まで反対したんだが、結局数の圧力に負けてしまってね。不本意だがIUに参戦せざるを得なくなってしまった」
 驚いて大江の方を見ると、大江は腕を組んで誇らしげに新米を見ていた。
ほっとして大江に頷くと、大江は実に嬉しそうに、
「…俺も老けるわけだわぁ」
 どういう意味だ。なんだか気恥かしくなって責めるような視線を大江に投げると、大江はどこ吹く風と言ったように胸の参加バッジを指で弾いた。
「IUは日本一を決めると言えば聞こえはいいが、結局は数多の屍の上に築かれる玉座に誰か一人が座るという構図に他ならん。そんなもののためにアイドル達の夢を消費してはいけないと何度も主張したんだが―――」

「全く、だから貴様は甘いというんだ、高木」

 社長のものでも大江のものでも、まして自分の声でもなかった。
突然掛けられた声は背後から聞こえ、弾かれたように後ろを振り返ると実に厭味ったらしい真っ白なコートの男が悠然と立っている。
よくよく見れば白いのは何もコートだけではない。コートの縁から生えるスラックスも真っ白だし、革製と思しき光沢を放つ靴までもが白一色に染め上がっている。
言っちゃあ何だが実にセンスが悪い。
が、何か途方もない威圧感を放つその男の目の前に立っていたくなくて新米は社長と男の間を空けるように一歩後ろへと引いた。
「…黒井。甘い、と言うのはどういう意味かね」
「ふん。言葉通りの意味だ。まったく、静粛であるべきホールで騒ぎ立てる馬鹿者がいるからどこの会社のものかと思ったが、やはり高木のところじゃないか。これでは貴様のところのアイドルもタカが知れているな」
 その言葉に反応したのは新米でも社長でもなかった。
ずいと一歩を踏み出したのは大江であり、横から見える大江の顔はどこに出しても恥ずかしくない満点の営業スマイルだった。
「それ、どういう意味ですかね、黒井社長」
 訂正する。眼だけは全く笑っていない。
黒井は一歩手前に出た大江の顔を見てどこかで見たかと一瞬思案顔を浮かべ、ついでその顔に凶悪な笑顔を浮かべた。
「お前は…確か大江と言ったか。敏腕プロデューサーとして鳴らしていると聞いたが」
「私の事をご存知でしたか。光栄です」
 軽く頭を下げた大江に黒井は一度だけ鼻息を鳴らし、
「名の売れたプロデューサーすら他社の代表に挨拶をする習慣もない。高木、貴様は一体部下にどういう教育をしているんだ? そういうところでアイドルのお里が知れると言っているんだよ」
 何だか腹のあたりがむかむかしてきた。
それなりに人付き合いは出来る方だと自負してはいるし新米の人生の中でも出来ればもう関わりたくないという連中もいるにはいるが、初見で口もききたくないと思えた人物はそうはいない。
これも一種の才能なのだろうか。
「いいか大江。アイドルとはプロデュース会社の財産だ」
「存じております」
「同時に商品でもある。我々は市場社会で会社を経営しているんだ、他社より売れるものを市場に供給するのは当然の事だろう?」
「かもしれない、ですね」
 いちいち身振り手振りの大きい男だと新米は思う。
大江も大江だ、少しくらい言い返したっていいのに適当な相槌を打って会話を潰そうともしない。
「そして我々は消費者たるファンの需要にそぐう供給をしなければならない義務がある。IUはその需要を満たすために覿面だとは思わないか?」
「…そのために、幾人ものアイドル達を商品として『消費』しても?」
 大江の静かだが怒気を孕んだもの言いに黒井は鼻息を一発する。
何を当り前の事を言っているのかと言いたげなその表情からはどこか冷徹な印象を受ける。
「売れない人形は市場から消去されてしかるべきだ。お前たちだってまずいコーヒーを2度買う気にはならないだろう?」

―――…えへへ、デビュー前にファン獲得、ですね。

 黒井の言葉に、数か月前の少女のはにかんだ笑顔が脳裏をよぎった。
急激に心拍が跳ね上がり、新米は両の手をぐっと握り締める。
肺に落ちる空気は格段に減り、首筋の裏側がまるで熱湯をかけられたかのように熱い。
それなりに人付き合いは出来る方だと思ってはいたが、脳みそのどこか冷静な部分が自分はまだまだ蒼いのだと冷静な判断をしてくれたおかげでまだ腕は動かない。
「いいか高木。彼女たちは『商品』だ。市場で供給されて消費されゆく人形だ。貴様らのように田舎娘を一から育て上げることほど非効率な事はない」
 駄目だ、
自分の腕のはずなのに制御できない。このままこの白尽くめの話を聞いていようものならぶん殴ってしまうような気さえする。
「そこへ行くとわが961プロは完璧だ。全国から選りすぐった候補生たちで構成される『プロジェクト・フェアリー』は最終調整に入っている。961プロの財政的バックアップも完全だ。貴様らの貧乏臭いアイドル候補生たちとは最初からモノが違うんだ、諦めて尻尾を巻いたらどうだ?」
 そしてその時、びくりと硬直した腕の筋肉は社長に抑えつけられた。
驚いて社長の方を振り向く、社長の目が『今はその時ではない』と語っている。
「ふむ。765と961の経営方針の違いとでも言っておこうかね。我々765は我々のやり方を貫くのみだ。なに、IUに敗れたからと言ってそのまま芸能界を去ることもあるまいよ」
 社長ののらりくらりとした言い方には、しかし有無を言わせぬ迫力があった。
腕を押さえられたせいか心情に若干の余裕が生まれ、新米は社長の顔をまじまじと見る。
どこか自信にあふれたようなその物言いは確かに言われればそうかもしれないと思えるもので、だとしたら社長は大したタヌキだと新米は思う。
 そんな社長に一瞥をくれて黒井はさもつまらなさそうに厭味ったらしい金ぴかの腕時計をちらりと眺め、
「負け犬にファンが付くとは思わない事だ。市場は敗者に優しくはない」
 そう言って、どこかの劇団員にでもなったらどうかと思える見事なターンで3人に背を向けた。



 黒井が去った後、エントランスホールには社長と大江と新米の3人だけが残された。
頭の中で若さからくる怒りの感情だけがとぐろを巻き、新米は行き場を失った怒りを吐き捨てるように声を出した。
「―――なんだあいつ」
「株式会社961プロダクション社長、黒井崇男。競合の大手さんだな」
 振り返って大江を見ると、大江はまるで野良犬に噛まれたかのような表情をしていた。
会話を拾われたことで間違った怒気が大江の方に流れてしまう。
「…大江さん、あいつの事知ってたんですか」
 問いに大江は深い深いため息をつき、
「ちょっと褒めたらすぐこれだよ。お前な、春からプロデューサーなんだからちゃんと競合の情報くらい仕入れとけ。けどまぁ、やっこさんは去年の夏くらいから芸能界に飛び込んできたポっと出だしな、いちいち相手にしてたらこっちの格が下がっちまう」
 ああいうのは放っとくに限るの、と言う大江の口ぶりに自分でもぞっとするほどの怒りが腹の中に渦巻いた。
別にプロデューサー陣の文句を言われるのは構わないとは新米も思う。
大江とて前に出たのは765のアイドルを黒井が馬鹿にした時だったからその辺りはきっと新米と同意見だとは思うのだが、それならば何か一言文句を言っても良かったのではないかと新米は思う。
「先輩、何で言い返さなかったんですか」
 怒気を孕んだ新米の問いかけに大江は一度へらりと笑い、
「お前もプロデューサー業本格的に始めたらわかるだろうけど、アイドルに向けた誹謗とか中傷なんて日常茶飯事だからな。いちいち相手にしてたらキリねえっつの。批判を流すってのもプロデューサーの仕事の一つだ」
―――それは、なんだか途方もなく悲しい話ではないだろうか。
 あの時少女は確かに「みんなに元気を与えられるようになりたい」と言っていた。それではまるで茨の道ではないか。
確かにこちらが一方的に売りつける元気には違いなかろうが、それはあまりにも報いのない話ではないのか。
 助けを求めるように視線をさまよわせた先にいた社長は一度重々しくうなずき、
「残念だが、大江君の話も黒井の話も一面では事実だ。IUにしろ市場にしろ、この業界で生き残るというのはそういう事なのだよ。…納得しかねるかね?」
 頷き返す。納得しろと言う方が無理だ。
自分はそんな事のためにプロデューサーを志したんじゃない―――そう言おうとしたところで、新米の肩に大江の大きな手が乗せられる。
 振りかえって見た大江の顔は、壮絶な笑みを浮かべていた。

「納得してないから、お前も俺も765にいるんだよな」

 新米は読んで字の如く新米である。去年の4月に入社したプロデューサーとしてはドの付く素人だ。
では先輩はどうか。新興のプロモーション会社の社長にすら名の知られた大江が、他にもきっとあるであろう765以上の待遇を用意した会社に転籍しないのはなぜか。
 その答えが、今の大江の顔なのだと思う。

「お前の言ってる事も最もだ。あいつらは商品でも人形でもないからな。お前は、お前の考えるプロデューサーになればいい」
 俺もそうしてきたと言う大江の顔には、どこか威厳すらある誇りに満ちていた。
「うむ。我々765は961とは違う。それを誇りに思い、実践してくれたまえ。それは―――君たち『プロデューサー』にしかできない事だからね」
 そう言うと、大江と社長は連れ立って大ホールへと向けて歩き出した。
振り返った先に並んで見える二人の男の背中はどこか途方もなく大きく見える。

―――いつか、

 いつか自分も、あんな風になれるだろうか。
誹謗や中傷を笑いながら受け流してアイドルを支え、自分の信じる道を突き進む背中になれるのだろうか。
今日明日では決してなれないと思う。1年5年掛けたところで届くかどうかは分からない。
 だが、思う、いつか自分もあの背中に並べるような存在になりたい。
いつまで掛かってもいい、どれほど時間がかかってもいい、いつかあの背中に並べるような、そんな立派な『プロデューサー』になりたい。
 いや、ならねばならない。なぜなら、

 なぜなら自分は、765のプロデューサーなのだから。

 高木社長の下で働き、大江先輩に指導を受けた、765のプロデューサーなのだから。

「何やってんだ、置いてっちまうぞ!」
 声にハッとして前を見ると、手のかかる子供を見るような顔をした大江が笑っていた。
「すみません、今行きます!」
 そうして新米は駆け出す。
憧れとなった二人の背中を追いかけ、いつか並び立てる日を夢見た新米の表情は実に生き生きとしている。



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