「―――つまりドールを回収したい、と。そう言う事か」
 黒井は何本目になるか分からない煙草に火をつけてそう返した。
 社長室の窓から見える外はもう真っ暗で、結構な高さにあるその窓からは眼下の風景が一望できる。
つい先日まで忘年会で盛り上がっていた飲み屋はすでに新年会で空き席のない好景気ぶりで、あれを見る限り巷で吹き荒れる不況の波などどこか違う国の事のように見える。
 問いかけに所長はそうですと返し、次いで不退転の如き決意を固めた表情で黒井を見た。
「んなこと言ったってお前、ドールのゴーサイン出したのお前じゃん。何、もうダメになったの?」
「…ダメになりそうだ、と申し上げております」
 苦渋を噛みしめるような所長の言葉に、黒井はふーんと全く興味のなさそうな相槌を返した。
視線だけで続きを促すと、所長は持参した紙封筒から2枚の資料を取り出した。数字とグラフで埋め尽くされたその紙を全く興味のなさそうに拾い読みすると、黒井は再び所長を見た。
「グラフを見ていただいてお分かりになる様に、この2ヶ月間のドールのメモリ消費は異常です。何らかのトラブルがあったと思って間違いはありません」
「トラブルって?」
「様々に考えられます。マニュピレータの動作モーター異常に伴う補完、人工脳に使っているプロセッサの出力が何らかの要因で低下し、主記憶にアクセスする間に使われている。…放っておけば、最悪死亡も考えられます」
「死亡―――ああ、要するに止まっちまうって事か」
 面倒くさいもんだな、と黒井は呟く。
まったくドールの計画を採用したのはいいが、事後処理がこれほど面倒になるとは思っていなかった。大体にして所長の弁を借りるなら1年以上はドールも活動出来てしかるべきで、その報告を受けたからこそ黒井もBST計画をスタートしたのだ。
「ドールが死亡し、もしそれなりの知識を持つ人間がドールを解剖すれば、如月重工の部品が使われていることはすぐに判明してしまいます。その前に、ドールを回収して治療するのが最善と思います」
 死亡に治療に解剖か。黒井は腹の中で笑いを漏らす。
「いいよ、好きにしな。回収の手段は任せるけど、うちの社名は出すなよ。見られると火消しが面倒だ」
「そう仰っていただけると思っていました」
 所長の顔がぱっと明るくなるが、そんなものを見たところで何の足しになるわけでもない。
掌で退席を支持すると、それではと言って所長は足早に社長室を後にする。

「…宜しかったので?」
 窓から外の景色を眺めていると、それまで一言も漏らさなかった秘書が口を開いた。
黒井は紫煙を鼻から出すと、「何が?」と返す。
「ドールの件です。回収させて宜しかったのですか?」
「もうデータは揃ってる。BST計画は円満に終了したようなもんだ。役者は舞台を去るんだよ」
 面倒くさそうな素振りをまったく隠そうともせずそう言うと、黒井は再びニコチンを肺に入れる。秘書は全く表情を動かさずにそれを見て、黒井が煙を吐き出したと同時に再び言葉を紡いだ。
「まだ経営上のデータはそれほど集まってはいません。765を買収するつもりなら、ドールにはもう少し情報を集めさせても良いのではありませんか?」
 秘書の意見に黒井は少しだけ思案した後、
「買収するのはまだ先の話だ。今焦って買い叩いてみろ、わが社の期待のホープがヘソ曲げちまう」
「しかし」
 それ以上秘書は何を言う事もなかった。黒井の表情がそれ以上言うなと雄弁に語っている。失礼しましたという声が聞こえた。
まったくどいつもこいつも甘ちゃんばっかりだ、と黒井は心の底から思う。
 高木もそうだがさっきの間抜けもそうだ。死亡も治療も解剖もすべて人間に対して使う言葉だ。決してロボットに向けて使う言葉ではない。
という事は、研究所の連中はドールの事を人間か何かだと勘違いしていることになる。
 今更ながら、如月重工を買収したのは失敗だったかもしれない、と黒井は思う。連中をこのまま好きにやらせていたら、いつかどこかから足がつく気がする。
「―――…おい、研究所の連中はいつでもクビ切れるようにしとけ」
「宜しいので?」
「何度も聞くな」
 畏まりましたと秘書は頭を下げ、音もなく社長室を退室する。まったくどいつもこいつも。

―――君は、そう思わないのかね。

 窓の外を見る。曇りがちな空はついに月が隠れていて、黒井は眼下に見える飲み屋のにぎわいを見ている。
酔っぱらいのサラリーマンたちが千鳥足でふらふらと公道を歩いているのが見える。どいつもこいつも楽しそうな顔をして、この先に延々と続く地獄を一時でも忘れたいと思っているように見える。

―――思わないね。

 呟く。

―――君は君の営業指針に従いたまえ。私は私で765を取り仕切るだけだ。

 地獄など散々見てきた。楽をしてきたとは決して思っていない。使えるものは何でも使い、ひたすらに戦い抜けてきた結果がこの窓から見える景色だ。
 黒井は最後の一本になった煙草に火を灯すと、眼下に見下ろした飲み屋とリーマンたちにはもう何の興味もないとばかりに机に座った。

―――ああ、そうさせてもらうさ。

 机には、Aランクアップ直後のライブの写真が載っている。
 映っているのは、祈りを捧げている美希だ。



 音響部屋に行くと、やはりメカ千早は首にソケットを刺して揺れていた。イメージトレーニングのつもりだろうか。
 メカさんと呼びかけると、メカ千早はすぐにケーブルを引っこ抜いた。
「ミキ、お帰りなさい。もう今日の仕事は終わったのですか?」
「うん。さっきミーティングも済ませてきたよ。律子さんには早く帰るようにって言われたけど、まだ多分大丈夫だから」
 そうですか、とメカ千早は笑った。
 この2ヶ月でメカ千早の様子は激変した。美希は素直にそう思っている。
前々の能面のような表情の変化は影をひそめており、今メカ千早の表情を彩っているのはまるで人間と変わらない笑顔である。
最初からこうだったら「メカさん」ではなくて「千早さん」と呼んでしまうのではないか―――美希は心の底からそう思っている。
「では、さっそく歌いましょうか」
「うん―――って、メカさんアップはしたの?」
 そこでメカ千早は照れ臭そうに笑い、実は2時間ほど前からずっとここにいたのですと白状した。
なるほど周りを見ればCDが山積している。またいつかの様にひたすらCDを聴き続けていたのだろうか。
「発声用のデバイスに問題は見つかりませんでした。私はいつでも歌えます」
「ホント?」
 疑われたのが心外だったのか、メカ千早は先ほど取り外したケーブルをアンプに差し直す。
美希の動きは素早かった。飛びつくようにコンソールのボリュームを下げると、どうにか鼓膜が耐えられるレベルの音量がスピーカーから流れだす。

―――このCD、

 美希の瞳に郷愁が宿る。
今や遠く懐かしいあの思い出、横を見ればプロデューサーが笑っていた時の、横を見れば千早が苦笑していた時に発売したCDがコンソールに突っ込まれていた。
CDはカラオケ番まで入っている今では珍しい形式のもので、スピーカーが奏でる曲は丁度カップリング曲が終わりを告げるところだった。
「私も、私なりに歌詞の解釈を試みました。この解釈が当たっているかどうかは分かりませんが、それでも挑戦に意味はあると考えます」
 イントロが流れ出す。美希は過去の郷愁を頭をふって追い払うと、メカ千早の方を見た。
 メカ千早が、ゆっくりと笑っていた。
 美希は目を擦る。目の前のロボットが、もう美希には人間にしか見えない。数度の瞬きをし、それでも目の前の少女が消えていないことを確かめ、美希は心の底からの安堵を得る。
 
 メカさんは、消えない。
 メカさんは、ずっとここにいてくれる。
 メカさんは、ずっとミキのそばにいてくれる。

 イントロが間もなく終わる。メカ千早が聞きに聞いた歌詞を第1メモリからロードし、大きく息を吸った。
人工肺が可能な限りの膨張を行い、設定された肺活量一杯の酸素を外気から取り込む。
樹脂製の横隔膜が悲鳴を上げるほどに腹に空気をため込み、メカ千早が己の解釈を乗せた曲を歌い出す。

 掛かっている曲は、『蒼い鳥』である。



 どうしてあんなに違ったのか、まったく美希には分からなかった。
 もっとも作詞家の家で完全に置いてきぼりにされてしまってからは真面目に話も聞いていなかったし、作詞家の家を出る時に千早は謝ってすらいた。
歌で千早に勝てないことくらいもうずっと前から美希は知っていたはずなのに、ここまでコテンパンにやられたのは久しぶりのような気もした。
『どうしたんだよ美希、さっきから黙ってばっかじゃないか』
 窓の外ばかり見ていたからか、プロデューサーがそんな事を言った。
弾かれるように振り返ると、プロデューサーは苦笑以外の何物でもない表情をしていた。
『え、そんな事ないの』
 普段と様子が違う事を悟られるのが嫌でそう言ったが、確かに普段よりも口を閉じていた気はする。
笑われて嘘つけとまで言われた。気がつくととっくに車はいつも使っている駐車場に入っていて、プロデューサーは別段急ぐ様子もなくハンドルにもたれかかってニヤニヤしていた。
悟られたくはなかったが、どうやら目の前の人には全てお見通しらしい。
 プロデューサーなら、なぜあそこまで千早の歌が変わっていたのか分かるかもしれない。
分かるかもしれないが、何となく腹立たしくもある。笑われたのにも癪に障った。しかしここで聞いておかなければ、もうずっと千早に追いつけない気も確かにする。
『ね、プロデューサー。やっぱり、千早さんの歌って前と違った?』
 するとプロデューサーは髭などない顎をさすり、うーんと唸り出した。いくばくかの逡巡の後、プロデューサーの頭にひらめくものがあったのか、
『…そうだな、前はもっとしっとり歌ってたけど、今回は結構強めの』
 そんな事が聞きたいんじゃないのに。小手先の技術で変えられることを聞いているのではないのに。
 もっとココロの奥底に訴えかける何かが違っていたのではないかと聞きたかったのに、プロデューサーの返答は的外れもいいところだった。
『そういうんじゃなくて』
『…まあ、違うわな』
 問いなおして真意が伝わったらしい。プロデューサーは若干の間の後にそう言った。
意図が伝わったことは嬉しいが、やはり全く違っていたらしかった。そのつもりはなかったが、がっくりと肩が落ちた。
『ミキね、全然分かんなかったの。前とほんとに違うのはわかるんだけど、何で違うかが分かんない。あれがココロを乗せるってことなの?』
『まあたぶんな』
 多分何も考えずに答えを返してきた。こっちは真剣に悩んでいるのにプロデューサーは全く親身になってくれない。
プロデューサーは意地悪だと思う。恨みがましい視線を送ると、プロデューサーは慌てたように、
『色々だと思うぞ歌い方だって変ってたし。作詞家の先生んとこ行ってまで詩の意味聞いてきたんだろ?』
 それが散々な結果に終わったから聞いているというのに。
『ミキ、ちんぷんかんぷんだった』
 まったくの四面楚歌である。作詞家の先生の家に行ってもそうだし、それでなくても普段の音楽談義からも美希は千早との絶対的な差を感じている。
このままでは千早に置いて行かれてしまうかもしれないし、最悪『もう美希とは組めない』と言われてユニット解散にもなりかねない。
 今まで感じたことのないような焦りが美希の心を蝕んでいく。焦りに出口は見えず、さりとて焦らずにはいられず、遂に美希の口が焦った声を出した。
『どうしよう…。ミキ、千早さんに置いて行かれちゃうかも』
 するとプロデューサーは溜息をついてシートベルトを外した。
『だったら、追いつくっきゃないじゃん』
 それができそうになくて悩んでいるというのに。
 まったくプロデューサーは鈍感にも程がある。常日頃感じている絶対的な差はいつか必ず乗り越えられる壁と信じてはいるが、ああまで差をつけられてしまった以上追いつくのは不可能な気がする。
大体どうやって追いつけというのか。
『どうやって?』
 美希から視線を外したプロデューサーに大きな溜息をつかれた。
『どうやってってお前、それは美希が自分で考えるっきゃないだろ』
 何だやっぱり結局プロデューサーも分からないじゃない。
『だって…。考えたって当たってるか分かんないし、考えてる間も千早さんはどんどん先に進んじゃうし。結局ミキは千早さんに追いつけずに終わっちゃうの』
『お前な…。例えばさ、さっきの“蒼い鳥”はそうだな、言うなれば千早バージョンな訳だろ?』
 溜息をつくのにも飽きたのか、プロデューサーは不思議な事を言い出した。
『千早さんのバージョン?』
 プロデューサーは頷き、
『さっき千早が歌ったのは作詞家の先生んとこまで行って考えた“蒼い鳥”バージョン千早なわけよ。で、美希としては千早の歌い方パクんのはやなんだろ?』
 頷いた。美希は千早の事を尊敬しているが、だからこそ対等なフィールドに立って千早に認められたいと美希は常々思っている。
小手先の技術を使って千早の歌を盗用するのはそれほど難しくはないと思うが、それでは対等なフィールドに立ったとは口が裂けても言えない。
『じゃあ、今度は美希が考えた美希バージョンの“蒼い鳥”を千早に歌ってみればいい。多分それが、千早が言ってた歌が生きてるってことになるんじゃないか?』
『ミキのバージョンの、蒼い鳥、』
 自らの言葉で言うと、確かにそれっぽい気がする。プロデューサーはそこで改めて美希を見て、してやったりな笑顔を浮かべた。
『美希なりに歌を解釈して、そこに美希が思ったことを乗っけて歌えばいい。それなら千早も納得するだろ』
 ああなるほど。
 確かに千早の心ではない美希自身のココロを乗せて歌えば、それは千早の立つフィールドに美希も自らの解釈で参入できることになるのではないだろうか。
しかしそれは難しいと美希は思った。頷いてはみたがやはり自信は欠片もない。
『ミキ、できるかな』
『出来なきゃ置いてかれるわな』
 ふんぞり返ってプロデューサーはそう言った。やっぱりプロデューサーは意地悪だと思う。
『…プロデューサーってイジワルなの』
『大いに悩め若人よ』
 まったく肝心のところでこれだ。たまに光ることを言うと思えば、肝心なところはいつもプロデューサーは何も言ってくれない。
プロデューサーは腕時計で時間を確認し、左手で上がっていたサイドブレーキに手を這わせ、
『まあ、美希なら出来るんじゃないか?』
 ちょっとびっくりした。無責任だとも思うが、そう言われたらなんだか出来そうな気がする。
 腹の底がむず痒いが、この人にそう言われたら本当にできるような気がする。
『ホント?』
『実際は美希次第だけどな。大丈夫だよ、保証する』
 そう言って、プロデューサーは運転席のドアを開けた。美希も続いてドアを開ける。
事務所は目の前にあり、もう間もなく次の仕事が始まる。確か雑誌のインタビューだ。
『…うん、やってみるの』
 そう言って、車外に出たプロデューサーの後を追う。

 プロデューサーの後にくっついて行く。



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