BST-072 (19)

13.

 困惑気味な小鳥に導かれて社長室の扉をくぐったその女は、「如月重工第6研究所ネットワーク部の渡部です」と名乗った。
「遅くに押し掛けて申し訳ありません。ですが、高木社長にはせめてお話をさせていただきたいと思いまして」
 深く頭を下げた渡部に社長は困惑する。誰だこの女。見たところ歳は三十路そこそこのようだが、立ち上る雰囲気は年齢以上に疲れている。
注意深く記憶を探ってみたが、社長の記憶の中には渡部と名乗るその女の記憶はない。
 何よりも―――
「如月重工、と言ったかね?」
 ええ、と女は頷く。如月重工と言えば961に買収された鉄鋼屋の名前だ。
と言う事は961の側になるという事だが、渡部は先ほど「如月重工の」と言っている。
如月重工はとっくに961に買収されているはずだから、そこは『961の』と言う所ではないのだろうか。
「…失礼だが、私は君に会ったことがあったかな。歳のせいかあまり覚えが良くなくてね」
 歳のせいにして渡部の素性を改めようとすると、渡部はそこで疲れたような溜息を漏らした。
「直接お会いしたことはありませんが、ドール…メカ千早を介して、拝見しておりました。本来であれば代表が伺うべきところですが、本日は失礼ながら私が代理として参りました」
 驚きが抑えられない。「メカ千早を介して」とはどういう事だろうか。
「君は―――ええと、何から聞けばいいのかな」
 タイミングよく、そこに小鳥からの電話を受けた律子が社長室に現れた。外に出て走り回っていたところに電話があったのか、1月の夜だと言うのに律子は肩で息をしている。
労いの言葉をかけようとした社長より先に社長室にいる見知らぬ女に気が付いたのか、
「…社長、どちら様で?」
「ああ、その、彼女はえーと、」
「如月重工の渡部と申します。秋月律子さん―――でよろしいですか?」
 名前をフルで言い当てられた律子が、いぶかしんだ声を出した。
「…なんで、私の名前をご存じなんですか?」
 社長同様律子も渡部と会ったことはないらしい。
律子のもっともな疑問に、渡部はやはりメカ千早を介して拝見していたと言う。
「…どういう事?」
 律子の警戒心丸出しの質問にも渡部は疲れた笑みを崩さず、
「それを、お伝えに来たんです。それから、」
 そこで渡部は言葉を区切り、社長と律子がそろって驚くとんでもない事を言った。
「星井美希さんは、うちの者が保護しています。…メカ千早も、一緒です」
「―――美希は、無事なんでしょうね?」
 律子の声色が変わった。剣呑な空気を醸し出す律子を少しだけ羨ましそうに笑い、もちろんですと渡部は答える。
「従業員が家族だと言うのは、本当だったんですね」
 言葉に嘲る色はない。本当に羨ましそうなその言葉に律子は一気に毒気を抜かれ、ついで社長を向き直った。社長は律子の視線に一度だけ頷くと、渡部をソファーに座らせて対面に腰を下ろす。
 聞きたいことはいくらでもある。
961側の如月重工の社員が一体何の用で765を訪れたのか、美希とメカ千早は無事なのか、メカ千早を介してと言うのはどういう事なのか、せめてお話をというのは一体何の話なのか、そもそもなぜ961はメカ千早を765に送り込んできたのか。
「現状を、先にお伝えしておきます。メカ千早は、先ほど美希さんを庇って事故に遭いました。今はうちのスタッフが回収しています。美希さんもそれに同行する形で、現在のところ我々が保護しています」
 社長が口を開く前に、渡部はカウンターを出した。質問攻めにしようと色めき立っていた社長と律子の顔色がさあっと変わる。
事故って、と呟く律子の顔色は真っ青で、まるで言われたことを信じられないかのような表情をしている。
「…美希を庇ってって。メカ千早は、大丈夫なんですか?」
 律子の震える質問に、渡部は本当に羨ましそうな、それでいてどこか寂しい表情を浮かべた。
「あの子の事も、心配してくれるんですね」
「メカ君が―――例えメカ君が961の手によって生み出されていたとしても、彼女はもう765の一員だからね」
 社長の言葉に、渡部は座ったまま深く頭を下げた。ありがとうございます、という呟きすら聞こえ、顔を上げた渡部の顔には何の表情も浮かんでいなかった。
 渡部のその表情をこれ以上突っ込んではいけないと思い、社長はいいかねと言って懐から煙草を取り出す。
火をつける音すら静かに感じて、社長は紫煙を吐き出しながらこう言った。
「…話をもどそう。君は、961傘下の如月重工の職員で間違いないんだね?」
 渡部は無表情のまま頷く。
「話をすると言っていた。話と言うのは、メカ君の目的の話でいいんだね?」
 口を開きながら、社長はそれ以外にはありえないだろうと思う。
如月重工と言えば961に買収された鉄鋼屋でメカ千早の製造元のはずだ。
鉄鋼屋が961にどんな形で吸収されたかは社長の預かり知らないところではあるが、まさか鉄鋼屋が今後の961のプロモーションについて話せるとは思えない。
「961側の君が、メカ君の目的の話をしたいというのは、何故かね?」
 そこまで言い、社長は渡部の顔を見た。
 渡部の顔には、深い諦めの色があった。
「BST計画は、美希さんの返答によっては終了します。もし計画が終了したら、元如月重工第6研究所の全職員は解雇される事が決定しています」
「美希の、返答?」
 律子の声に渡部は頷き、ついで渡部の口から出た答えは先週の推測を裏付けるものだった。
「黒井社長は美希さんに質問をするつもりです。メカ千早と一緒に居られる961への移籍をするかどうか。答えが否定なら、計画は終了します」
 社長の表情は全く変わらなかったが、律子の表情には如実に驚きの表情が浮かんだ。
「計画が終了したら、961からは所属した期間からは考えられないくらいの退職金を受け取ることになってます。おそらくは口止めという事なのでしょう。私もあの子の事を言いふらす気はありません。でも―――」
 そこで言葉を区切り、渡部は深いため息をついた。
「もし続行でも、あの子は恐らくもう長くありません。だから、せめてあの子に関わった765の皆さんには、あの子の事を全部話しておこうと思って」
 失礼を承知で夜分に伺ったのです、と渡部は結んだ。
「―――先週、我々はメカ君を961の産業スパイだと判断している。これは、事実かね?」
 静かな社長の声に、渡部は曖昧に笑った。
「否定はしません。あの子の自意識…と言っていいか私にも分かりませんが、あの子が自覚できないところで諜報にも使えるユニットが作動していたことは事実です」
 あの子の自覚できないところで、という言葉に社長は瞠目する。やはりメカ千早は自分が産業スパイであるという目的意識はなかったのだろうか。
そう言えばさっきメカ千早の前でその話をした時、メカ千早は信じられないという表情をしていた。
 思い出す、初めて給料を出そうとした時のメカ千早の言葉。

―――私はロボットです。しかし、私の製造目的はありません。

「メカ君には―――メカ君の製造目的のデータを、入力していなかった、と?」
 僅かだが棘のある口調に、渡部はまるで無表情のまま頷いた。
「信じて頂けないかもしれませんが、あの子は嘘をついていません。私たちは、あの子に特別な何か…スパイ行為をするようなことは教えていません。入力もしていないのです」
 そこで、ようやく律子が立ち直った。
「…それを、どう信じろって言うのよ」
 律子の言葉に、瞬く間に渡部の表情が変わった。
「―――あたし達だって!!」
 怒気すら孕んだ叫びが社長室に響いた。
「あたし達だって、あの子にこんな事やらせたくなかった!!」

―――いや違うって俺じゃないって、言語のシステム担当してたの遠藤じゃん、お前ふざけんなよ、拡声器のシステム検証したの渡部じゃん、えーあたしにくるの、調音のスタビライザ調整してたの加持君でしょー!?

 まだ昨日の事のように思い出せる、メカ千早が初めて起動したときの喜び。
まだ「メカ千早」という名前すらなかったメカ千早が初めて右手のグーパー運動をした時の嬉しさ、初めて話した時の感動、初めて名前を言った時のあの例えようもないほどの喜び。

―――仕方ねえだろ、あのまんまじゃ俺たちの子供から送られてくる情報精度ガタ落ちだぞ。

 昨日の事のように思い出せる、メカ千早から送られてくる情報を目の前にして渋面を作った所長の表情。

―――何だ、これじゃあたしもあの人と同じ穴のムジナじゃないか。

 昨日の事のように思い出せる、あの時の自分の感情。

 渡部は手を強く握り、律子を見上げてはっきりとこう言った。
「…申し訳ありません。ですが、あの子―――あの子は第6研究所の職員にとって、娘のような存在なんです」
 それは渡部だけの気持ちではない。おそらくは須藤も加持も三河も深山も所長も、6研に所属している全てのスタッフが抱いている気持ちのはずだ。
 渡部の泣きそうにまで聞こえる声色に嘘や偽りの色は一切ない。まるで本当は今すぐにでもメカ千早のところに行きたいと言わんばかりの瞳に、律子はぐ、と言葉を詰まらせる。
「信じよう。その気持ちは、私も分からないではない」
 つぶやきに律子は驚いて社長を見た。社長の顔にもやはり後悔の色がある。
社長は律子を見上げると、溜息をついてこう言った。
「あいつも、事故に遭ったからね」
『あいつ』が誰を指すのか、一発で律子は分かった。
「…そちらのプロデューサーが事故に遭われたというのは伺っています。…その、何と申し上げてよいか分かりませんが―――」
「お互い様だね。765も、仔細は分からないがメカ君は…美希君を庇ってくれたのだろう?」
 言葉に、渡部は懐から携帯電話を取り出して社長と律子に見えるように机の上に置いた。
写真のようだった。右下には今日の日付が入っていて、目にした瞬間律子は口元を押さえて社長室を飛び出して行く。社長もまたぴたりと動きを止めて写真に見入っている。
 須藤が撮った車内でのメカ千早の見分の様子だった。
「…証拠になるか分かりませんが、これがメカ千早の今の様子です」
 込み上がる吐き気を堪えて写真を見る社長の顔色が真っ青に染まっている。
素人目に見てもこれは手遅れに見える。右側の手足がもぎ取れたメカ千早には生気がまったく感じられない。
 まるで人形のようだと思う。
「美希さんは必ずお返しします。うちのスタッフは全員で治療にあたりますが、あの子に残された時間はおそらく、…もうあまりありません」
 渡部の声が、ずいぶん遠くから聞こえた。
「…最期は、友達と一緒に居させてあげてください」
 灰皿に置かれていた煙草がじり、と音を立てた。社長は青く染まった顔をあげ、ゆっくりと頷く。
ありがとうございますと渡部は礼を言い、寂しそうな笑顔を浮かべた。
「急に押し掛けてしまって本当に申し訳ありません。ですが、―――あの子にとって家族のようだった765の皆さんに、あの子を嫌って欲しくないんです。お時間をお借りしても、よろしいでしょうか」
 渡部の声に、社長は再び顎を縦に動かす。



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