BST-072 (20)


 ダクトだらけの通路を進み、都合何番目かの扉を開けた先には亀山工場も驚く大きなモニターがあった。
モニターは壁掛け式で、部屋の真ん中には人が2人ほど寝れそうだが堅そうなベッドらしきものがあり、加持はそこにメカ千早を横たえると三河から何本かのケーブルを受け取る。
何の表情も浮かべずに加持は受け取ったケーブルをメカ千早の首筋にある入出力端子に差しこみ、今度は耳の後ろにあるメインメモリ直結のダクトケーブルをしっかりと差し込んだ。
ぶつっ、という音が遠くから聞こえた。このケーブルはパンクしたメインメモリのデータを三河のモニターに転送するためのもので、後ろを振り返ると三河が顔も向けずに親指を立てている。
バックアップケーブルはいくらかの電流を供給もしてくれるから、これでメカ千早の集音マイクは作動するはずだ。
残ったケーブルを左腕と左足の露出していたケーブルにつなぐと、その場にいた何人かに何事かを指示した。手際がいい。まるで前々から準備していたようだと美希は思う。
 手にした目隠しをぎゅっと握りしめる。
この目隠しは車内で泣き叫んでいた美希に向って須藤と名乗った小鳥くらいの歳の女が「この子なら大丈夫だから安心して。ところで高速乗ったらこれ着けてね」と押しつけたものだ。
最初こそ嫌だと反抗したものの「絶対大丈夫。初対面でこんなこと言うのもなんだけど、信じて」と言われて美希は渋々目隠しを着けている。
道すがら何度「メカさんは大丈夫?」と聞いても須藤は「大丈夫大丈夫。擦り傷」という絶対に信じてはいけない返答を返していて、何度目隠しを外そうと思ったか分からない。
腕も足も千切れてしまっているのに何が擦り傷かと何度も言おうと思ったが、「俺らもプロだからね。大丈夫。絶対直す」と加持ではない方の男に言われて押し黙り、連れてこられたのはダクトとモニターとケーブルが跋扈するどこかの研究所だった。
「オッケー。電源入れてください!」
 加持の声に何人かから了解と返事が返され、ぶうんと低い音を立てて壁沿いに四角い光が灯る。
加持がベッドから離れると、美希はすぐにベッドサイドに走った。
「メカさんっ!! メカさん! 目を開けて!!」
 必至な美希の声にもメカ千早は目を開けない。加持を見ると無表情のまま首を振られた。
腹立たしいにも程がある。むかっ腹で目の前がちかちかする。さっき「絶対に直す」と言っていたじゃないか。
「何でっ! なんで駄目なの!? 治してくれるって言ってたじゃない!!」
 美希の剣幕に驚いたのか、加持は一歩だけ下がり、
「直すよ。直すけど、まだメカ千早は起きない。メモリの容量が―――って言っても分かんないよね。メカ千早、最近おかしなことなかった?」
「ないよ! メカさんはメカさんだもん! 絶対961のスパイなんかじゃないもん!!」
「そういう事じゃなくて。何か前にあった出来事を忘れてたりとか、そういう事なかった?」
「…どういう事?」
 変だ。加持は思う。
 メインメモリのバックアップログが作成できなくなったのは2か月以上前だ。
メカ千早は美希とともに先週病院の屋上に上がっているが、そこで確かメインメモリは蓄積容量に耐えきれずダウンしてしまっている。
メカ千早はその場で緊急プログラムにのっとって主記憶に退避していた記録をサブメモリに移しているが、記憶野を構成しているメインメモリの破損は間違いなく周囲にメカ千早の異変を抱かせたはずだ。
それなのに、美希は「そんな事があってたまるか」という顔をしている。
という事は、メカ千早はサブメモリに記憶を移し替えたという重大な変更をしながらも周囲にそれと悟られないように行動していたことになる。
 それほど、友達を心配させたくなかったのだろうか。
 いつか三河が言っていた「心」が、メカ千早にも芽生えていたのだろうか。
「まだメカ千早に本体通電用のユニットを繋いでないんだ。電源入ってないだけ」
 穏やかな口調と裏腹の焦った表情に、美希は堪らずにメカ千早に引き返す。
「メカさんっ! メカさん、ミキだよ!! メカさん!!!」
 必至な美希の呼びかけに背中を押されたように、加持は三河のモニターに視線を投げる。
三河はさっきからメカ千早のメインメモリの容量解析にあたっていて、その表情には隠しきれない焦燥の色があった。
「三河さん、そっちどうです?」
「…考えてたよりひどい。メモリの電磁パターンが完全に変わっちまってる」
 これじゃログも取れない訳だ―――と三河がつぶやいた時、加持の指示で室外に出ていた何人かが呼吸補助用のダクトケーブルを持ってきた。
三河から離れて焦ったようにダクトケーブルをひっつかむと、加持はメカ千早の胸板を開けてダクトを差し込もうとする。
 うわ、と呟かれたのを美希に聞かれた。
「何!? どうしたの!?」
「何でもないし君は見ない方がいい。今、再起動に必要な工程を三河さんと須藤さんがかけてくれてる。マイクだけは作動してるはずだから、早く起きるように声をかけてあげて」
「でもっ!」
「―――君は、ハードには何もできないでしょ!?」
 加持の今までにない大きな声に美希はぐ、と言葉を詰める。
とっくに泣きはらしたと思っていたのに、今だにぼろぼろと涙が落ちてくる。
 加持は美希のその様子を見ると、一瞬だけ手を止めて美希に向き合った。
「―――多分、俺たちが呼ぶより君が呼んだ方がメカ千早に届く。ハードは絶対に俺たちが直すよ。だから、頼む」
 加持もまた、泣きそうな顔をしていた。それを見た美希の瞳になけなしの力が宿り、美希は眉根を寄せて流れ落ちる涙に構う事なくメカ千早の顔を覗き込む。
「メカさんっ! 起きてよ! ねえ、メカさん!!」
 正直なところ、これでは通電したところで起きてくれるかどうか、と加持は思う。
胸板を開けると普通なら人工肺と主モーターが顔を出すはずだが、人工肺は熱でやられて完全に変形してしまっている。この分だとおそらく主モーターの一部は溶解してしまっているだろう。
人工肺の接続部分はまだ相当熱を持っているが、加持はかまわずに素手で人工肺だったパーツを外し、器官チューブにダクトケーブルを差し込んで間髪入れずにダクトのスイッチに火を入れた。
呼吸器系はこれで恐らく問題はないが、この様子だと主モーターから送られていたはずの人工血液も完全に滞留しているはずだ。
「誰かモーター持ってきて!! デカくてもいいから!!」
 
 その叫びを、三河はモニターに向かいながら聞いた。
モニターには0と1の羅列の下になんとか人間でも解釈できる程度に紐解かれたインタプリタがあり、三河はその前で滝のような汗を流している。
当初のメモリ配列と何から何まで変わってしまっている。須藤が2か月前にログが取れないと言っていたが、専門の三河にしても確かにこれではログはとれまいと思う。
藁にもすがる思いでメインメモリに外付けの大容量メモリを加えてみたら凄まじい勢いで食いつくされた。一体どんな経験をしたんだと思う。
圧縮できるところは外部から圧縮し、他に手を加えられなくなったところで大容量メモリへの浸食がようやく止まる。これでメインメモリが復帰できるはずだ。
一瞬だけ胸を撫で下ろし、もう見たくもないモニターに奇妙な数字の配列がある事に気が付いた。
 インタプリタの解析結果に三河は言葉を失う。
『美希は友達』『それは嫌だ』『美希が変わってしまう』の3語が無限に羅列されていた。
「メカさんっ!! 起きてよ、起きてよ!!」
 美希の叫びが聞こえてきた。
 下唇を噛み締めた。どこの誰だこいつらにこんな重荷を背負わせたヤツは。
もう一台の大容量メモリに電気を食わせてメインメモリのログを無理やり取得させる。
「くっそ、絶対、」
 絶対だ。何が何でもだ。直せるなら何でもしよう。もうシャブもポンも止めてやる。だから頼むよ、お前は俺たちの、
「絶対だ! 絶対もう一回起こしてやる!!」
 三河の指が恐ろしいスピードでキーボードの上を滑っていく。モニターの中で、大容量メモリが「Copy completed」と表示する。
 ごくりと音まで立てて唾を呑みこみ、三河はエンターキーに手を添える。

 その叫びを、須藤はモニターの前で聞いた。
 三河よりも若干小さいモニターには脊髄から送られてきたプロセッサとルーチンのやり取りログが一言一句漏らされずに表示されている。
インタプリタは噛ませているが解析が追い付かず、須藤は持ち前の知識を総動員してプロセッサが止まった要因を取り除こうと躍起になっている。
ある程度インタプリタが表示をしたところで須藤は舌打ちしてプログラムを止める。インタプリタが遅過ぎてログの全貌が見えない。
膨大な数字の羅列をコンパイラにかませて無理やり16進法に直し、須藤はここである事に気がつく。ルーチンが最後の最後まで働いていない。
ログを最後まで辿り、須藤の頭に恐ろしい推測が浮かぶ。そんなはずはないと思う。ルーチンは非随意反射である。人間でいう自己防衛機能のはずだ。
それが働いていないなどという事はあり得ない。あり得ないことが起きているという事はつまり、そこにプロセッサが止まった要因があるはずなのだ。
そして、それは須藤にとって信じがたいプロセッサの働きによってもたらされているとログは如実に示している。
 プロセッサがルーチンを止め続けるなどという事が、普通ならあってはならないはずなのに。
 腕が千切れ、足の筋肉が断裂するまでプロセッサがルーチンを妨害し続けるはずがないのに。
「メカさんっ!! 起きてよ、起きてよ!!」
 美希の叫びが聞こえてくる。
 須藤の体に震えが起こる。
そんなに助けたかったのだろうか。自己の防衛機能を止めてまで、メカ千早は美希を助けたかったのだろうか。
「…舐めんじゃないわよ」
 呟く。そうだ、舐めるんじゃない。メカ千早が美希の事を助けたのなら、メカ千早を再び起動させるのは自分たちの役目だ。
加持も三河もその線では第一級だ。助けられないわけがないじゃない。
「助けられない、わけがないじゃない」
 そうだ。そんなはずがないのだ。もう一度起こすのだ。もう一度起きるのなら何だってしてやろう。
神様がいるなら一度くらい願いをかなえてくれたっていいだろう。ミサにでも何でも行ってやる。だから、ねえ、お願いよ、あなたは私たちの、
「起きてよ、ねえ、」
 須藤の指先がとんでもないスピードでキーボードの上を流れていく。モニターの中で、ウィンドウが「damaged refine」と表示する。
 ごくりと音まで立てて唾を飲み込み、須藤がエンターキーに手を添える。

 主モーターの代わりの動力は無骨な上に大きかった。
しかしこれしかなかった事くらい加持も知っている。乱暴な手つきで主モーターから生え出る動脈静脈の2本のダクトを外し、人工肺を取り除かれたことで丸見えになった主モーターを見る。
一瞬わき出る吐き気を意志の力で腹の下に入れる。ちゃんと解体してみないと分からないが、右心室と右心房は溶解して完全に潰れてしまっているようだ。
ボディの中に手を突っ込んで主モーターを外す。熱いが気にしていられない。滞留している人工血液を循環させないと最悪プロセッサとメモリに致命的な損害が出る。
外した主モーターからもどかしげに赤青2本のパイプを外し、それぞれに対応した外部モーターのダクトにはめ込む。
 熱かったろうに、と加持は思う。ここまでひどい焦げ付き方ならルーチンが働かなかったはずがない。
それなのに、メカ千早はおそらく必死で美希を助けようとしたのだろう。
頭の冷静な部分がどこかで「これはもう手遅れだ」と言っている。そんな事があってたまるか、と思う。
「メカさんっ!! 起きてよ、起きてよ!!」
 すぐ近くで美希に叫ばれた。
 そうだよ、起きてくれ。友達に呼ばれてるぞ。三河さんも須藤さんも他の人たちも必死になってお前の事起こそうとしてるんだぞ。なあ、お前は俺たちの、
 外部モーター内に滞留していた人工血液が流れ込む。赤く点灯していたランプが腹の中に液がたまったことを感知して緑色に光り出した。
加持は乱暴な手つきで外部モーターの動力を入れる。ごうんと鈍い音を立ててゆっくりと外部モーターが動き出す。

―――仕方ねえだろ、あのまんまじゃ俺たちの子供から送られてくる情報精度ガタ落ちだぞ。

 お前は俺たちの、子供みたいなもんじゃないか。

「三河さんっ! 須藤さんっ! 本体オッケーですっ!!」
 加持が、叫んだ。

―――どいつもこいつも浮かれ上がっている。何せここにいるメンツはそろってこの3日間ろくに寝ていない。

 初めて起きてくれた時の感動を、三河はまだ覚えている。
「頼むぜ、」
 エンターキーを押す、

―――この調子だと彼らが久しぶりの睡眠をとるのはまだ先になりそうだ。

 あの時の言い表せない喜びを、須藤はまだ覚えている。
「お願いよ、」
 エンターキーを押す、

―――私は、ミキの、友達です。

 病院の屋上で友達と言ってくれたことを、美希はまだ覚えている。
嫌われたと思った。嫌な子だと思われると思っていた。だから、友達と言ってくれて嬉しかった。
 いつだって、美希はメカ千早のそばにいた。

「ね、メカさん、」

 いつだって、メカさんはミキのそばにいてくれたんだ。

「―――起きてよう」

 瞬間、美希の視界にくっきりとした影が落ちた。
何事かと泣き腫れた目を上げ、美希は壁に掛けられた特大のモニターに夥しいまでに羅列された英語の文面を見た。
モニターの上部には「system BST-072」と表記されていて、メカ千早の正式名称以下の英文が凄まじいまでのスピードで流れていく。
 美希の視界の中で、夥しい文字が流れていく。
 僅か一瞬ののちに画面は本体起動のチェックに移り、いくらかのエラーを報告した後に「reboot」と表示された。

「―――メカ千早が、起きるよ」

 声のした方向を向くと、加持が同じように画面を見上げていた。
加持の顔には隠しきれないほどの疲労があり、それでも加持は口元を歪めていた。
 メカ千早の左腕がびくりと動いた。持ち上げようにも持ち上がらない様子の左腕を両手でとらえ、美希は泣きながらメカ千早の顔を見た。
「―――メカさん」
 呼びかけにこたえるように、メカ千早に残された右目がうっすらと開いていく。

「ミ…キ…。大丈夫、ですか…?」

「…。メカさんの方が、大変だったんだよ?」
 メカ千早が穏やかに笑っている。美希もまた泣きながら笑っている。やっと会えたと思う。
 その様子を、加持はどこか寂しそうに見ている。加持だけではない、須藤も三河も、その場にいた全員が寂しそうに美希とメカ千早を見ている。
その場にいる美希以外の全員が、揃って辛そうな顔をしている。
「ここ、は、…どこ、ですか?」
 メカ千早の静かな問いかけに、美希ではない声が答えた。

「君が生まれたラボだ」

 加持でも三河でもない声に顔を上げると、そこには真っ白な白衣の男が立っていた。
男もまた辛そうな表情でメカ千早を見ている。いつ部屋に入ってきたのか全く気付かなかった。
 美希の訝しげな視線を感じたのか、男は表情を全く変えずに美希に向き直る。
「星井、美希さん、だね?」
 確認のような口調だった。黙って頷くと男は一度だけ頷き返し、おもむろに懐に手を突っ込んで何かのスイッチを入れた。
「…社長が、君に話があるそうだ」
「所長っ!!」
 何も今でなくてもという加持の非難を片手で制し、所長と呼ばれた男は一気に表情を変えた。
まったくの無表情のまま、所長と呼ばれた男はコンソールの電源を入れる。
ばつっ、という音がして巨大モニターに表示されていた数字と英字の羅列が消え、そこに美希はもう二度と見たくない顔を見た。

 黒井の顔だった。


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