BST-072 (4)

4.

 千早さんじゃなくてもいいって思った。
 最初はやっぱり千早さんじゃなかったんだって思った。けど、ミキはこの人でもいいって思った。
怖くなかったって聞かれたらやっぱり最初はちょっと怖かった。千早さんは2人いないはずだし、2人もいちゃいけない人だから。
 千早さんはミキのこと置いて海外に行っちゃった。最初はね、千早さんもミキのこと置いて行っちゃうんだって思った。
 たぶん、だから今まで頑張ってこれたんだと思う。一人ぼっちで残されたミキがここで頑張ったら、千早さんもプロデューサーも帰ってきてくれるって。そう思ってた。
 そんな事、あるわけないのにね。
 千早さんはミキよりずっとずっと前を見てるもの。ずっとずっと上を見てたもの。
ミキのことなんか全然見ないで、ずっとずーっとミキより前に先に進んじゃう人なの。たった一人で、一人でまっすぐ行っちゃうの。
 一人ぼっちだったら、ミキは死んじゃうんじゃないかなって思う。
 だから、ミキは千早さんに惹かれたんだと思う。
 一人ぼっちで、まっすぐで、ぜんぜん迷ってなくて、上しか見てない人だったから。ちっとも後ろなんか見ない人だったから、ミキは千早さんに惹かれたんだと思うの。

 この人でもいいんだって思った。
 今度こそって思ってた。



 働かざる者食うべからずである。結局のところそれに尽きる。
 物珍しさからくるメカ千早への興味は左手ばっこん事件と大怪獣事件のひと月後には薄れ、その後の注目は事務処理能力の高さに移っていった。半端なスタッフよりも情報処理の早いメカ千早はふらりと現われてからひと月後にはスタッフに交じりだして仕事をし始めている。
 もっとも、最初からメカ千早が仕事を手伝う事に多くのスタッフが諸手を挙げて歓迎していたわけではなかった。
 社長は難色を示していたし、多くのスタッフもまた「何をしているのですか」から始まるメカ千早への仕事の説明が面倒そうだと感じてはいた。が、千早の逆輸入CDの販売や激化する美希のプロモーション活動につれてそうも言っていられなくなったのだ。
 ある時メカ千早に好意的だった若いスタッフが簡単に仕事を説明すると、メカ千早は膨大な仕事をあっという間に済まして見せた。
「あいつは最初は面倒だが説明してやれば仕事を手早く済ましてくれる」という評判はあっという間に社内に伝播し、「何をしているのですか」から始まるメカ千早への仕事の説明を面倒くさがるスタッフは社内でも少数派になった。

 働かざる者食うべからずという事はつまり、働いていれば食う事は出来るという事になる。


 昼休み、メカ千早は高木社長に呼び出された。
それまでのメカ千早と高木社長とのやりとりは基本的に朝の再起動時と夜のログオフ時にちょろちょろと会話をする程度で、改まって社長室に来るようにというのはメカ千早のメモリが記録している限り初めてのことだ。
「やあ、来たか。まあ掛けたまえ」
 通されたのはメカ千早が夜間待機状態のときに座っているソファーだ。社長はメカ千早の正面に座ると、おもむろに懐から煙草を取り出した。
「あー…。最近どうだね、事務所には慣れたかね?」
「おかげさまで、私を見ても驚く方は少なくなってきたようです。感謝いたします」
「いやいや、感謝しているのはこっちの方だ。昨日も経理の方を手伝ってくれたそうだね」
 言葉にメカ千早はメモリを参照する。
昨日―――ちょうど今から22時間前、いつものように「何をしているのですか」と聞いた先が経理事務のスタッフだった。
前々からメカ千早の評判を聞いていた経理はこれ幸いとばかりにメカ千早に仕事を説明し、メカ千早もまた淡々と事務処理をこなしたのだった。
「申し訳ありません。いけませんでしたか」
「経理の方からね、君を専属でこっちに回してくれないかという要望が来たよ。君なら大歓迎だそうだ」
 社長の口ぶりから察するに、どうもメカ千早はだいぶ経理から好かれたらしい。最もそういうわけにはいかんがと言いつつ、社長はメカ千早にこれもやはり懐から取り出した封筒を手渡す。
「開けてみたまえ」
 言われたとおり開封すると、カメラアイが不思議なものを捉えた。福沢諭吉である。袋から端だけを取り出してアイカメラ上で枚数を測定する、いち、に、
「…? タカギ社長、これは何ですか?」
「ふむ。君は一カ月ほど765プロデュースの仕事を手伝ってくれていたからね。わが社の初任給の基準に照らした君の先月分の給金だ。本来なら指定口座への振り込みなのだが、君は口座など持っていないだろう?」
 不満かね? と問う社長に対し、メカ千早のプロセッサは表情筋に対応したプログラムを送る。
「意図が不明瞭です。私に現金収入は必要ありません」
 大いに困ったような表情のメカ千早に対し、高木社長もまた困ったような顔をする。
「そう言わないでくれたまえよ。君の働きぶりは評価に値するし、経理をはじめスタッフたちも君のことを好意的に評価している。これでただ働きさせている事などバレたら、私は次の労会で袋叩きに」
「ロウカイとは何ですか?」
「何でもない、忘れてくれ。ともかく、これは君の取り分だ。君の労働に対する正当な見返りだよ。無下にする事はない」
 しかし、それでもメカ千早は首を振る。
「私はこちらに住まわせていただいている身ですし、バッテリーもそれとは別に頂いています。労働はそれに対する見返りと取って頂いて構いません」
「…君のそういうところは本当に千早君そっくりだよ。君、実は千早君本人ではないのかね?」
「バッテリーを頂いても?」
 やれやれと溜息をついてどうぞと言うと、メカ千早はおもむろに左手首を外した。
プラグをコンセントに差す後姿にももう見慣れてしまっていて、社長は再びの溜息代わりに紫煙をぼふっと吹き出した。
「給料を使って服でも買ったらどうかね。いつまでも美希君のお下がりでは君も何かと大変だろう」
「ミキさんには、申し訳ないと思っています。何度もお返しすると言っているのですが、なかなか受け取ってくださらないので」
「ああいや違う、そういう意味ではなくて―――」
 美希の服と千早の体である。これ以上を言うとコミュニティから物理的にボコボコにされてしまうので、高木社長はそこで押し黙った。
再び煙草を咥え、社長は困ったように室内を見回し、

 本棚の中に入っていた、湯呑の入る木箱が目に入った。

 では、そうだね、と前置いて、
「服はさておくにして、何か好きなものでも買ってきたらどうかね。給金内であればうちにツケてもらってもかまわんよ」
 これならどうだと社長は思い、口をつぐんでメカ千早の返答を待つ。が、待っても待っても返答はない。
木箱から視線を外してメカ千早を見ると、社長はそこにメカ千早の奇妙な表情を見た。

 メカ千早は、まるで完全な無表情を絵に書いたような顔をして、社長の事をじっと見ていた。

「―――…タカギ社長、スキ、とは何ですか?」

 今度は社長が大いに困る番だった。何ですかと言われても。
そういえばメカ千早は765に現れた時からオリジナルと仕事のこと以外に関心を持っているような素振りは見せていない。
仕事に関しては先ほど「住まわしていただいているので」と言っていたが、千早本人に興味がある理由にはなるまい。
 もしかして、と思う。
「…君は、どうして千早君のことに興味があるのだね?」
 そこで、メカ千早は無表情を一変させ、満開の笑みを作った。その表情に一瞬だけほっとしたあと、高木社長は愕然とした表情を浮かべた。

「私はロボットです。しかし、私の製造目的はありません」

 正確にはデータがない。思い出す、初めて会った日の夕闇、まるで本物の千早のような恰好をして、まるで本物の千早のような声で、ロボットは確かに製造目的はないと言っていた。
「リツコさんは、ロボットは製造目的があって作られるのが普通と言っていました。しかし私は、私の作られた目的についてデータを参照できません」
 つまり―――。社長は目の前のロボットについて思いを馳せる。
データを参照できないとはつまり、人間に置き換えれば何のために生きているか分からないという事だろうか。
「もしオリジナルに近づくことができたら、私はオリジナル…キサラギチハヤとして活動できるのではないかと考えます」
 もしかして、が当たってしまった。
 背筋の凍るような話だった。社長はそれを黙って聞いている。メカ千早もまたこれ以上は話すことはないとばかりに押し黙り、社長室に言いようのない沈黙が訪れる。
「君は、千早君になりたい、と?」
「不可能です。ロボットはヒトになることはできません」
 その通りだとは思うが、もし質問を「千早君になり替わりたいのかね?」と変えていたら、と思う。
確かにロボットはヒトになることはできないだろう。もしもロボットがいつの日か「如月千早」と呼んでも差し支えのない存在になったとしても、それはあくまで「如月千早のようなもの」であり、千早本人と言う事は出来ないだろう。
 しかし、と思う。
 社長の脳裏にあの日の夕闇に感じた不安がよみがえる。このまま目の前のロボットを765に置いていいものか、という問いが社長の頭によみがえる。
 如月千早になりたいと考える存在をこのまま放置していいのかどうかという問いが、社長の頭の中をぐるぐる回っている。
「…そのことを、美希君たちは知っているのかね?」
「話したことはありません」
 安堵のため息が出た。社長はふっくらとした背もたれに寄りかかり、
「…そのことは、私と君との秘密にしておこう。君と765のために」
 貼り付いた笑顔のままで、メカ千早は了解しましたと返事をする。と、ここでメカ千早の表情が初めて動き、
「ところでタカギ社長、給与について提案があるのですが」
「何かね」
「オリジナルに近づくに際し、私には資料が不足しています。オリジナルの音源を聴く機会をいただきたいのです」
 そういえば先月の大怪獣事件の時、メカ千早は美希の声に反応はしていたが、その前はずいぶん熱心にCDを聴いていたようだった。
あれもオリジナル―――如月千早に近づくためだったのかと思う。
 頭を振る。考えを改める。
 千早にしろ美希にしろ、彼女たちが第一線で活躍していくにつれて765の門戸を叩く志願者は増えている。
ロボットをそういった志願者と一緒にして考えるのはどうかとも思うが、そう考えればそれは特に危険なものではないのではないかと考え、
「アイドル達が使っている間は音響部屋は使えないが、構わないかね」
「昼休みなどは、空いているようですね」
 ああ、と社長は首肯した。それを提案の受理ととらえたのかメカ千早は再び笑顔を貼り付ける。
 時計を見れば間もなく昼休みが終わる時間だ。このあと社長は会合に出なければならないし、おそらくこの調子だとメカ千早も何か仕事の予約が入っているのだろう。
「お話は、以上でしょうか」
「ああ…そうだね。時間を取って済まなかった」
 いえ、とメカ千早は言い、左手をはめ直してゆっくりと席を立つ。その後ろ姿が出国前の千早本人とかぶって見えて、社長は今まさに社長室を出ようとするロボットの背中に向かって声をかける。
「あー、メカ君。もし労会で君の報酬について何か言われたら、君も証言してくれたまえよ?」
 ロウカイとは何ですか、と聞かれた。


 メカ千早が社長室を去った後、社長は背もたれに体を預けたまま2本目の煙草に火を付けた。ついさっきの自分の考えを振り返る。
 メカ千早は先ほど、自分の目的についてデータがない、と言っていた。これを人間に置き換えると何のために生きているか分からないという事になる。そこまではまあいい。良いか悪いかは別にして理解できないことはない。そのために千早本人になりたいという願望があるという事も、認められるかどうかは別にして理解できる。
 そして、そんな事は出来ないとロボット自身は考えている。
 だが、では何のために千早になりたいのか、という点が分からない。分からないものは推測するしかなく、社長は眉根を寄せて考えだす。

―――もしオリジナルに近づくことができたら、私はオリジナル…キサラギチハヤとして活動できるのではないかと考えます。

 ひょっとして。
 社長は思う。ひょっとして、メカ千早は本心から千早本人になりたいと思っているわけではないのかもしれない。
 思い出す、先ほどの会話。
―――リツコさんは、ロボットは製造目的があって作られるのが普通と言っていました。しかし私は、私の作られた目的についてデータを参照できません。
 恐らく、ユーザーなる人物は何がしかの目的があってロボットを作ったに違いない。今のところユーザーなる人物の目論見は分からないし、まさか律子の頭を一発でやらかしてしまうほどのテクノロジーを社長の頭を混乱させるだけに使ったとは思えない。
 しかし、メカ千早の考えは、そのユーザーという人物とは違うのかもしれない。
 ユーザーなる人物の目論見とメカ千早の望みは、全く違うのかもしれない。
 メカ千早は、メカ千早だけの存在意義が欲しいだけなのかもしれない。
 自分のオリジナルであろう如月千早に近づくことで、メカ千早は自らの存在に意義が与えられると考えたのかもしれない。

 もしこの想像が当たっていたら、それは―――。


 煙草をこすりつけた灰皿がじゃり、と音を立てた。
 思考に出口は見つからなかった。時計を見ると、もう社長室を出なければ会合に間に合わない時間だ。
 完全に火が消えたことを確認すると、社長は掛けてあったコートに袖を通す。メカ千早が来る前に聞いた天気予報は夜から雨と告げていた。
もう10月も過ぎ去ろうとしている。秋の気配は日ごとに濃くなり、間もなく始まる冬は秋の夜に忍び込んでいる。

―――それは、とても残念な話だと社長は思う。



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